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脇村様のお考えに対して、2つの疑問があります。
一つは国語表現の問題なのですが、引用された新聞記事には
「視覚や嗅覚(きゅうかく)をつかさどるたんぱく質の遺伝子も含まれていた。
ただ、実際にどのような役割を果たしているのかは不明だという。」
とあります。この文章から受ける印象は進化論者が困惑している様子です。なぜこのタンパク質があるのか不思議だ、謎だと言っているのではないのでしょうか。そうだとすれば、
>この発見は進化論者をしょげさせるどころか、勢いづかせるものとなる
という脇村さんが発言は正反対に思えます。むしろ、進化論者を「立ち止まらせた」
発見なのではないのでしょうか。このタンパク質の役割が解明されたというのであれば、
「進化論者を勢いづかせる」というのはわかりますが。
>鼻は、たぶんあるはずです。
>また、それらのタンパク質が視覚や嗅覚以外の用途に使われていたかもしれません。
これが、進化論者を勢いづかせる発見であるならば、「たぶんあるはず」とか「かもしれません」という説明をするのはおかしくありませんか。これらの日本語は自信がないときに使う言葉ではないでしょうか。おっしゃっていることが矛盾しているように思います。
2点目の疑問は知られていない機能を取り上げる危険性です。
>それらのタンパク質が視覚や嗅覚以外の用途に使われていたかもしれません。
おっしゃるとおりそれはあり得ることでしょう。しかし、それを言うのであれば、
いわゆる進化論の証拠とされる痕跡器官というものが存在しないことを進化論者が自ら認めることにはならないでしょうか。ヒトの耳を動かす筋肉のように現在機能していない器官があるのは、機能していた祖先を持つ証拠だとされます。一時期ではあっても何らかの機能を持っていれば痕跡器官にはなりません。かつて痕跡器官と言われた胸腺は現在はその機能がわかり痕跡器官のリストからはずれました。
ウニの視覚を司るタンパク質は現在視覚としては機能していないが、ほかの用途に使われているかもしれないと考えるが正しいのであれば、痕跡器官の考えそのものが根底から崩れるのではないでしょうか。たとえば、人の耳を動かす筋肉にも、耳を動かす以外の用途に使われているかもしれないと考えることが良くなるのですから。
もう一つ言えば、「何らかの用途に使われていたかもしれない」と言うお考えには、前提として「無駄がないはずだ」という考えがあると思います。なぜ「無駄がない」とお考えになるのでしょうか。私たちのような創造主(神)を前提とする者にとっては、知性がある神が無駄なことをなさるはずがないと考えることは当然なのですが、進化論者である脇村様が「無駄がないはず」とお考えになる根拠は何でしょうか。知性や意志によらず、偶然に頼るだけで、「無駄がない」自然界が登場すると考えるのは合理的な説明だとは私には思えませんが。
したがって、
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