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久しぶりに「ニュートン」(2007年3月号)を読んだら、生命の起源が特集されていました。
32pにこう書いてありました。
「気が遠くなるほど複雑で巧妙な細胞 本当に自然にできたのか?
細胞の成り立ちを知れば知るほど『これはだれかが地球に落としたか、
さもなければどこかから流れ着いたものだろう』と思いたくもなる。」
そして、パンスペルミア説(胚種広布説)が紹介しているのですが、
続けてこうありました。
「だが、これには『生命起源の問題を棚上げしたに過ぎない』という批判がつきまとう。そうではなく、『生命はこの地球のどこかで化学反応の積み重ねによって誕生した』と多くの科学者は考えている。」
生命に起源については、科学者は生命の自然発生を認めているというのです。しかし、なぜ多くの科学者が生命は地球で自然発生したと考えているのか、ニュートンは何も説明していません。彼らがそう考える理由は一つしかありません。それは、神が造ったという説明を受け入れたくないからです。受け入れれば、この問題を棚上げすることになるし、反証不能だから科学ではないというのです。
しかし、生命の誕生がただ一度のものならば、再現はできず、反証できないのは当然のことになります。進化論者がもし本当に真実を追究する科学者であるならば、実際に観察される証拠から自然発生は起こりえないことを認めるべきでしょう。生命の起源の問題が棚上げになろうとも、もし実際に神が創造したのであれば、人間に説明できなくても仕方がないことなのですから。
「気が遠くなるほど複雑で巧妙な細胞 本当に自然にできたのか」という見出しは
何を意味しているのでしょうか。
常識的に考えれば、生命が創造されたと考えることはきわめて合理的な考えです。
パスツールが証明したように、生物は生物からしか生れません。生命の起源についていろいろな説が出ていますが、実際のところは、わからないところがあまりにも多く、生命の起源は謎であり、奇跡であるというのが妥当なところでしょう。
ニュートンの55pに、アメリカ スクリプス研究所教授のジェラルド・ジョイス氏のこんな言葉が書いてあります。
「(生命の起源について)私にはわかりません。科学界の誰にもわかないのです。」
正直な告白だと思います。生命の起源については、まだ誰にもきちんと説明できておらず、世間一般が思っているほど、確かなものではないのです。お手上げに近い状態です。現在ばかりか、原始地球においても、生命の自然発生は不可能に近いことが明らかになっています。
ジョイス教授は言います。「リボースの利き手の問題(筆者注:生物はなぜか左手型は使わず、右手型のリボースだけを使ってRNAを作る)を考えると、RNAに基づく生命がどのように生じたかを考えることは、きわめてむずかしい問題です。不可能というわけではありませんが。」
進化論者は、何の根拠もなしに不可能なことが起きたと信じているのです。おかしなことです。こうした記事を読むと、進化論は間違いであるということに気がつかせてくれます。
そして、進化論がいかに、創造論者以上に「信仰」を必要としているかにも気がつかされます。
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