投稿募集! スレッド一覧

スレッド作成 他のスレッドを探す

[PR] バイト在宅 中古車買取 新潟の求人・転職 seo 物流費
teacup. ] [ 無料掲示板 ] [ プレミアム掲示板 ] [ teacup.コミュニティ ] [ ブログ ] [ チャット ]

新着順:54/380 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

吉野様へ

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2007年 5月10日(木)20時57分37秒
  通報
  >学校教育の前の段階としての家庭教育について

確かに、家庭教育は学校教育の前段階ですが、今は家庭教育の不十分な生徒が多くなっているのではないかと思います。それは、それだけ学校での教育が重要になっていることを意味します。だからこそ、教師には、教える教科だけを考えればいいと言うのではないと私は思うのです。



>そのためにも正しいコミュニケーション等々の学校以前の基礎の重要性を強く感じます。
ごもっともです。

>科学的知識」そのものは品性を育むためには直接的には役に立たない、というような認識で宜しいでしょうか?

それで結構です。

>品性向上には道徳が重要であることは否定しませんが、「考える」能力もまた重要な要素であると思います。先頃のテレビ番組における「科学」の名を借りた捏造情報を鵜呑みにしてしまうというのは、「考える」能力の欠如とでも言うべきもので、これは品性(性質、性格)が良い、とも人格が完成しているとも言い難いと思うのです。

おっしゃる意味はわかりますが、一つおたずねしたいのは、私たち創造論者が創造論を受け入れるのはその「考える」能力がないからだとお考えですか。私は、進化論者たちの方が「考える」能力がないために進化論を受け入れていると思います。真摯に「考えれば」創造論の方が正しいとわかると思っています。たとえば、生命の起源について、神が創造したと考える方が、生命が自然発生したと考えるよりもはるかに合理的だと思います。


>>人は、神によらず、無目的に登場したのですから。
>だとは思いません。「進化論」は人生の目的を述べるための論ではないからです。

確かに進化論は人生の目的を述べる論ではありません。しかし、人間の起源については、進化か創造か、目的ありかなしかのどちらかです。そして、明らかに進化論の立場は、人間は無目的に誕生したというものです。進化論では人生の目的を述べることができないと私が言ったのはそういう意味です。


>そのことを以って価値が無いとは思いません。

では、どんな価値があるのか、具体的に教えていただけないでしょうか。

>>進化論はナチスによって利用され〜
>これが明らかに誤った(あるいは恣意的に捻じ曲げられた)解釈であったことは既に多くの人の知るところです。

存じております。私は進化論がこうしたことを主張しているとは申し上げていません。悪意のある人びとによって、進化論が「利用された」と申し上げました。創造論は利用されてませんが、進化論は利用されたという点が重要ではないでしょうか。
したがって、

>進化論は「善を行う要因にはならない」かもしれませんが「悪を行う要因に」もならないと思います。

 と言う意見に私は賛成しかねます。現代の進化論はその理論の前提として、創造主なる神を抹殺しなければ成立しないと思います。創造論は疑似科学だと言われる最大の理由は、神を前提とするための反証不能性にあるからです。

>私には、他人様に人生の意味を教えることなど出来ません。

それは人生の意味を考え悩む生徒にとって、大きな損失となるのではないのでしょうか。

>生きる力とはどのようなものでどうすれば与えることができるのでしょう。
私は生きる力とはすなわち生きようとする意志の力であろうと思います。


私は「生きる力」とは、「愛されている実感」であり、「自己の受容性」だと思います。もし自分の意志の力で生きていけるのであれば、簡単なことではないのでしょうか。また、そうであれば自殺したものは「意志が弱いもの」というレッテルを貼られ、敗者であり、社会の不適者となるのではないのでしょうか。こういう考えは、まさに適者生存を認める進化論の考えそのものではないでしょうか。だからこそ、私は、進化論には人を生かす力はないと言いたいのです。
 「あなたは高価で貴い」と神は言います。「どんなに失敗ばかりしていてもかまわない。意志がどんなに弱くてもいんだよ、君はそのままの姿で生きて良いんだよ。わたしはそんなあなたを愛している。」と言うことができるは、そんな人間を創造した方だけです。「あなたは神に愛されている。あなたは神の目には価値ある存在だ。」こうしたメッセージを与える方が、単に「意志を強く持て」というよりもはるかに自殺防止には役立つと私は思います。

>このような仮定の話は意味が無いと思えます。「人生の意味を正しく知っていれば自殺などしない」というのは循環論ではないでしょうか?

 私にとっては、仮定ではなく現実の話です。かつての教え子が自殺しましたから。聖書を教え、創造論を教えたはずなのに、それでも彼は自ら死を選びました。「創造論を信じていれば一人も自殺などしない」ということはありません。しかし、たとえ、現実がそうであっても、私はやはり創造論を教えたいと思います。進化論ではもっと多くの自殺者を出すのは確実ですから。

>「自分で考えろ」「理解できるまで考えろ」「考えるための材料は与えるが、更に詳しいもの、或いは他にも違う材料が無いか、自分で探して来い」〜「思考停止するな」・・・

大変すばらしい教育方針だと思います。創造論についても、最初から否定するのではなく、自分で考えるようにと教えてください。創造論について、否定する資料だけではなく、肯定する側の資料にも十分目を通すようにと、生徒達におっしゃってくだされば幸いです。

>「自然科学」にしろ「進化論」にしろ、人生の意味や目的を問うためのものではないということ、しかし、どのように生きるかという意味で「品性」を育むための(あるいは実りある「生活」のための)一助にはなり得るということが、今の私の考えです。

おっしゃるとおり、科学は人生の意味を問う「ための」ものではありませんが、結果として人生の意味を問うことになります。科学は「どのように生きるか」という問いに無関係ではいられません。なぜなら、科学を学ぶものは、サルではなく、人生の意味を考える人間だからです。なぜ勉強するのか、自分は生きていて意味があるのか、人生の目的はなにか、を考え悩む中学高校生に、科学を教えるときには、こうした彼らの持つ本質的な問いに答える絶好の機会だととらえて、科学を通して人生についても語るべきだと私は思います。それが、教育者としての本質的な務めだと私は思います。教育者は、研究者でも塾の講師でもないのですから。
 
》記事一覧表示

新着順:54/380 《前のページ | 次のページ》
/380