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>>「自然科学教育は人格形成に無意味である」との意見には賛成できないと考えます。
>科学教育そのものが無意味だといっているのではなく、「この偉大な目標に比べれば無意味なものの部類に入ります」と言っているだけです
二極論で言えば「無意味である」ということですね。
>科学教育を受けることで、聖書を否定し、神を信じなくなるくらいだったら、やる意味が無いということです。
>それが魂をイエス・キリストから引き離すのであれば、何の意味も無く、やらないほうがずっとましだということです。
これは字義通りにとるならば、キリスト教以外の一切の宗教は捨象されるべきだということですか?
それが「創造論教育の目標」である、ということならば私はそれには賛成できかねます。
また、「聖書」の記述に反する「自然科学」の観測結果は全て否定されるべきだ
(宗教による科学の排斥は是である)というお考えであれば、私はそれを容れることはできません。
先にも述べたとおり、「子供達や青年たちの品性を形作」るために、「自然科学」とは別に多くのものが必要だということはそのとおりです。
そのひとつとして聖書の創造の物語があるという考えには何ら反対いたしません。
聖書を学んでキリスト教に入信し、神による創造を語るのは自由です。
そのなかで自分の人生の目的を見出し、目標を定めて、「正しくあろう」と生きることは立派で素晴らしいことであろうと理解します。
ただし、それと同様の、品性の涵養が聖書の教えによってのみ為されるものであるとは思いませんし、
何れを人生の拠所とするかは自分の意思で、自らの思考思索の帰結としてあるべきだと思います。
また同時に、宗教や哲学・思想は人の内側、自然科学は人の外側の世界にあるものであり、
内と外それぞれ別の次元に両立してこそ意味があるものだと思います。
であるからこそ、外の世界に対する正しい態度としての「自然科学」教育は必要だと思います。
「自分で考え」た結果として、
「自然科学はこう教えているが、私は心情的には創造論が正しいと思う」、とすることは個人の自由の範疇です。
が、盲信は「思考停止」です(「自然科学」を盲信することも同様ですが、「科学」の本質が疑ってかかる事であるというのは以前に述べたとおりですから、「盲信」した時点でそれは正しい意味で科学ではありません)。
>こうした理解は、人はみな死後神の裁きを受けて、永遠の命を得るか、永遠の滅びを受けるかのどちらかだという考えからきています。この世の命ははかないものですが、神が約束している命は永遠です。
それはキリスト教の教義であり「キリスト教における真理」ですね。
そのことは自然科学ではどうやっても実証出来ないことではありますが、
だからといってそれが無意味・無価値だなどとは言いませんし、
そんなことを主張する科学者は多くない筈だと確信します。
>この栄誉を得ることに比べれば、ノーベル医学賞などはごみ同然です。
それもひとつの価値観であって、斉藤様がそうお考えになっていることはわかりました。
私が、そのような栄誉はべつに欲しくは無くて、
それに比べれば自然科学の成果を利用することで多くの命を支え、永らえさせることに貢献できる方が嬉しい、
と申し上げたなら誹られるかもしれませんが、そのような考えがあることもご理解いただけましょうか。
私は私なりに、教育の目的や人間の命について、また人生の目的について考えて来ました。
申し訳ありませんが、斉藤様のお考えとは聊か異なる考えであるようです。
こちらに来て自分の考えをかたちにするいい機会をいただけたと思います。
私にはまだ明確な答えと言えるものはありません。
これからもこの問題について考えていくことになるでしょう。
今回、斉藤様のお考えに触れられたことは私にとっては有意義であったと思います。
こちらから一方的に押しかけて長々と書きこんでしまい、
またこの掲示板のローカルルールに大きく抵触してしまったのではないかと恐縮しております。
>創造論者が進化論になぜ反対するのか、創造論教育の目標がどこにあるのかなどを理解していただければ幸いです。
これからも考え続けて参ります。
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