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>生きようとする意志が「強いか弱いか」が問題なのではありません。
「有るか無いか」が問題だと申し上げたつもりです。
それでは、表現を変えてお聞きします。進化論に基づくと、生きようとする意志のある者だけが生き残るので、自殺者のでない社会を作るには、一度自殺したい人はみな死んだらいいということにはならないでしょうか。
>自殺者は「社会に適応する努力を自ら怠った怠け者」ではなく
「社会に適応する努力を自ら放棄した逃避者」だと思う、と申し上げております。
両者の違いが良く理解できませんでしたので、もう少し詳しく説明していただけると助かります。「怠ける」のではなく「逃げる」というのはどういう事なのでしょうか。
>動物に知性が無いと断言する根拠はなんでしょう?
私は「神を認める知性」と書きました。動物が神を礼拝するとは私は思いません。
>「本能よりも理性が優先します」というのは、
本能だけでは「生きる意志」を持ち続けることができない
=理性が「生きる意志」を損なう、あるいは「生きる意志」を失った「理性」が「自殺」という行動を促すという意味に聞こえます。
それとも、「特別な生きる目的なしに生きることは動物と同じだから意味の無い生だ」
と仰せなのでしょうか。
両方とも言えると思います。生存本能がまさっていれば自殺など起きるはずがありません。
また、生きる目的を知らないことは、人間には特別に生きる目的を知る力が与えられていると考える上からは、動物と同じで人間として生まれた意味がない事になるのではないでしょうか。ここでも「人間とは何か」という定義が大事になります。
>「生きる意志」とは「生存本能」に等しく、
そしてそれこそが文字通り神に与えられたものといえるかも知れない、と思います。
本能は進化によって獲得してきたものであると証明されない限り、何物かによって初めから与えられたものと考えるべきだと思います。
>それが神に与えられようと、あるいは与えられたものだと気づこうと、自分で見出そうとどちらでも構わないと思っています。
いま生きている瞬間にそれが存在しているのだということに気づくことが重要なのであって、その筋道やテキストは問題ではないと思います。
命が神によって与えられたものか否かは、大きな問題になるのではないでしょうか。なぜなら、それは一つには命に対する感謝の大きさに影響を与えます。「自分は生かされている」と感じる人は、「自分は生きている」と感じる人よりも、命を感謝し、命をいつくしむ度合いが大きいのではないでしょうか。また、なぜ死ぬべき自分がこうして生かされているのかを考えることによって、生きる目的についても、より深く考えるのではないでしょうか。そして何よりも、論点が違うとおっしゃっいましたが、死刑判決を受けた極悪人のような生きる意味を見失った人にとっては、神の存在は大きな慰めになるのではないでしょうか。周囲の人から死ねと言われても、神は生きろと言っているから、自分は生きて良いのだと、生きる意志を持つことができるようになると思うのです。創造論では、生きる意志のないところに生きる意志を与えることができます。しかし、吉野様のご意見に従うならば、生きる意志がない、あるいは失ったところでは、どんなに注意深く探したところで、生きる意志を見つけることができないのではないでしょうか。気がつけと言われても、所詮ないものはないので、もし気がつくとすれば、自分には生きる意志がないと言うことに気づくだけではないのでしょうか。
>柳沢大臣のことでしょうか?しかし「子供を産まない女性には生きる価値がない」などという発言は無かったと記憶しますが・・
ご指摘の通りで、大臣はそこまで暴言を言ったわけではありません。ただ、「子供二人持つことは健全」という発言はしており、その奥に潜む思想(子供産まないのは不健全→産めない女性は〜)を私が拡大したものです。
>私の命が誰か他の命を育むため、あるいは新しい命を産み出すために直接間接を問わず役立つなら生きる意味は十分にあるというような意味です。
そういう意味なら意味は少しはあるでしょう。しかし、本質的な点において、命を持つだけで、他との関係なくてもその命の意味がなければならないと私は考えます。吉野様の主張に従えば、絶滅動物の最後の一匹の命は価値がないことになりませんか。
>逆に命を次の世代につなぐことが出来ないのなら、現在の生にどのような意味があるでしょう。
生きることそのものに意味があります。命を与えられた神を愛し、神に感謝することを神は喜ばれます。それゆえにどんな命にも意味があります。
>>人間がゴキブリを殺し、牛を殺して食べることと人を殺すこととの違い
>これは本質において同じ、と考えております。
>価値の無い人間〜は存在しないと思っています。
ゴキブリを殺すことと人を殺すことが本質的に同じと考えておられるのであるならば、価値のない人間は存在しないと言う以上、価値のないゴキブリもいないという事になるのではありませんか。そして、価値のあるゴキブリを殺すのは、人間のエゴだという解釈でよいでしょうか。吉野様が何を理由に価値のない人間はいないとお考えなのか、もう少し教えていただけないでしょうか。
>その行為の是非はまた別の次元の話です。
両者の行為が本質的に同じならば、あえて別次元の話にする必要がないのではありませんか。同じ土俵の上で論じることができるのではないでしょうか。また、別次元の話として、そこにもし倫理を持ち出すのであるならば、善悪の基準はなんなのか、それを誰が決めるのか、論じる必要があると思います。絶対者の存在を認めない進化論にもとづけば、別次元の話にしても、相対的な善悪論にしかならず、本質的に同じ事になるのではないでしょうか。
>これまでの歴史において「価値の無い人間の命を奪っていい」と言ってきたのは「宗教」であったかと思います。
「宗教」の名をかたった人間のエゴだとおもいます。
>「進化論(あるいは自然科学)が人の命を奪うことを是としているわけではない」ということはご承知いただけますか?
進化論が、ゴキブリの命を奪うことと人の命を奪うことが本質的に同じだと主張するのであるならば、害虫駆除を正しいことと考える人にとっては、人の命を奪うことも正当化する理由付けになるのではないでしょうか。
自然科学は人の死を是とはしませんが、進化論は是とするのではないでしょうか。
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