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吉野真一様
コメントありがとうございました。
一言で言えば、「キリスト教信仰」というものを誤解しておられるのではないかと思います。信仰とは、疑うことではなく、丸ごと信じ、受け入れることです。それができなければ信仰を持つことはできません。「疑問点があるから信じられない」ではなく、「疑問点はあるが信じる」というのが信仰です。
エレン・ホワイトはこのことに関して「キリストへの道」という本でこう言っています。
「聖書には説明のできないこと、また了解に苦しむことが多くありますので、悪魔はそれらを用いて、聖書は神の啓示であるとの信仰を揺り動かそうとします。・・・神は私どもに、信仰の基礎を置くに足る証拠を十分与えたもう上でなければ、信ずるようには求めたまいません。神の存在も、品性も、またみ言葉の真実性もみな、私どもの理性に訴えるあかし、しかも多くのそうした証しによって確立されています。けれども、神は、疑う余地を全然取り除きたもうたのではありません。私どもの信仰は、外見的なものの上に築くのではなく、証拠の上に築くのでなければなりません。疑おうと思う者には疑うことはできますが、本当に真理を知りたいと求めている人は、信仰の基礎となる十分の信仰を発見することができます。」
聖書にヨブという人が出てきますが、ヨブに向かって神はこう言われます。
「あなたは神を究めることができるか。全能者の極みまでも見ることができるか。
高い天に対して何ができる。深い陰府について何が分かる。
神は地の果てよりも遠く/海原よりも広いのに。」ヨブ11:7ー9
「主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。
これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて/神の経綸を暗くするとは。
男らしく、腰に帯をせよ。わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ。
わたしが大地を据えたとき/お前はどこにいたのか。知っていたというなら/理解していることを言ってみよ。
誰がその広がりを定めたかを知っているのか。誰がその上に測り縄を張ったのか」
ヨブ38:1
神はヨブの疑問には答えず、かえってヨブの無知を示します。吉野様は神のなさることに関して、疑問をいろいろ述べておられますが、吉野様は神よりも賢く、あらゆるものを知っておられるのでしょうか。たとえば、もしも地球が自転をやめたら〜うんぬんを言っておられますが、そんな理屈は神の前では一笑に付されます。もしも天が落ちてきたらどうしようと考えている人と同じことです。吉野様は、この宇宙ができた様子を見ていましたか、地球がどのようにして自転を始めたのか見ていましたか。自然科学の法則のすべてをご存じなのですか。
なすべきことは、ヨブのように自分の無知を知って、すべてを理解できなくてもそう言うものかなと考えて受け入れるべきではないのでしょうか。大切なことは、その答えがなくても、つまり、証拠が完全にそろわなくても、神を信じることは十分できると言うことです。そして神はそう言う信仰を望んでおられると言うことです。キリスト教のことを少しでもご理解されたのであるならば、さらに一歩進んで、疑問を残したまま、神を信じられたらいかがでしょうか。いったん受け入れてしまえば、何の問題もなくなりますよ。
なお、進化論者のものの考えは、結局のところ、自分を神よりも正しいものする考えです。吉野様のご意見を伺っていて感じるのは、進化論を受け入れる方が「賢くなる」ことだという見方です。それは、まさに悪魔がエバを騙したやり方そのものです。神は食べるなと言った善悪を知る木の実を悪魔はエバに食べさせようとして、食べても「決して死ぬことはない」と断言しました。聖書はこう記しています。創世記3:6「女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。」
人は賢くなるつもりで、神の言葉を失い、永遠の命を失い、死を経験するようになりました。進化論も同じです。科学はすばらしいものですが、神に比べれば塵と同じです。その行く先は滅びです。進化論にこだわって、大切な命を失うことがないように、心の目で証拠を見直し、創造論を信じることをオススメいたします。
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