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創造か進化か 2

 投稿者:長谷川寿紀(管理人)  投稿日:2009年10月 8日(木)08時55分11秒
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  さて、皆さん、創造の始めの時の神の言葉は、その言葉が発したことを生みだすための創造的エネルギーを内に持っていたことがおわかりでしょう。イエスが命の道を人々に示すため、また人々を罪から救うためにこの世界においでになった時、彼は繰り返し繰り返し、あちこちで、到る所で、すべての人々に、絶えず、同じ神のみことばはなお内に同じ創造的エネルギーを持っている、だからみことばが語られると、物事を生みだす創造的エネルギーがそこにあるのだということを、実際にお見せになったのでした。

 ところで皆さんは進化論者ですか、それとも創造論者ですか。みことばがあなたに語りかけています。あなたはそれをお読みになりました。あなたはそれを信じると告白しました。あなたは進化論者とは反対に創造を信じます。ところで皆さんは、自分に反対するような創造を信じるつもりがありますか。あなたとみことばの創造的エネルギーとの間に何も――1時間という期間であろうと一切――認めない台の上に今日自分を置くつもりがありますか。

 イエスはある人に、「あなたの罪はゆるされる」と言いました。それがそうなるまでどのくらいかかりましたか。――「ゆるされる」という言葉とその事柄との間にはいかなる時間的長さもありませんでした。「あなたの罪はゆるされた」という同じそのみことばは、今日皆さんに語りかけております。なぜ、皆さんに語りかけられているこのみことばとそのことの成就との間に何らかの時が経過するようにするのですか。皆さんは、つい先ほど、神の言葉と物事の出現との間に一分あるいは一秒でも時の経過を認める人は皆進化論者であると言いました。非常に結構です、そうなのです。それにしがみついていて下さい。さて、お尋ねします。神があなたにゆるしをお語りになる時、どうしてゆるしを得るまで、それがあなたの内で真実になるまで、何日も経過するようにするのですか。あなたは先程の人は進化論者だと言いました。皆さんは何でしょうか。私は知りたいのです。あなたは進化論者である事をやめて創造論者になりませんか。

 本日はここにおいでになる多くの方々にとって特に重要な日となることでしょう。というのは多くの方々がこの質問に対しどちらか一方に決める時だからです。もしあなたがこの家を進化論者として出て行くとすれば危険です。今この時はあなたにとって命か死かという問題なのです。私は、進化論は不信心であると言いました。その通りなのです。ですからもしあなたがこの家を進化論者として出て行くとすれば、あなたの立場はどうなるでしょう。あなたの選択は何ですか。そしてもし、あなたが罪のゆるしを得ないで出て行けば、あなたは進化論者です。というのは、あなたは、みことばが語られた時と事実の成就との間に時を経過させるからです。

 私が読んだことから、みことばが語られてから事のなるまでの間にいくらかでも時を経過させる者は進化論者だということがおわかりでしょう。あなたに対する神の言葉は、男よ、「あなたの罪はゆるされる」、女よ、「あなたの罪はゆるされる」であります。〔コーリス長老:「あなたの罪はゆるされるであろう、と言ってはいませんか」。〕いいえ、ちがいます。「あなたの罪はゆるされる」――強調した現在時制です――「あなたの罪はゆるされる」。私はそうであるのを神に感謝します。というのは、「ゆるされる」というそのみことばの内の創造的エネルギーがあらゆる罪を取り去り、人を新しい被造物に創造するからです。私は創造を信じます。あなたは信じますか。あなたに語られた「ゆるされる」という言葉の内にある創造的エネルギーを信じますか。それともあなたは進化論者であって、私にはどうしてそんなことがあり得るのかわからない、私はあまりにも悪すぎるから、とおっしゃいますか。私は正しい事をしようと心掛けてきたが多くの失敗をした、私には多くの浮き沈みがあった、そして浮くことよりも沈むことの方がずっと多かった。もし、あなたがそのように言うなら、あなたは進化論者です。それは進化だからです。

 多くの人々が清い心を求め続け、なお求め続けています。彼らは、「私は罪のゆるしを信じます。そして私はそれを全部受けようと思いました、もし私が続けられるのが確かであれば。けれども私の心にはあまりにも多くの悪があり、あまりにも多くの勝利すべきことがあるので、私には全く確信が持てないのです」と言います。しかし、「わたしの内に清い心をつくって下さい」というみことばがあるのです。清い心は創造によって生じるのです、他の方法によってではありません。そしてその創造は神のみことばによって成し遂げられるのです。神は次のように言われるからです、「わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け……る」。あなたは今創造論者ですか、それとも進化論者ですか。あなたはこの家を悪い心を持って出て行くつもりですか、それとも新しい心を生みだす創造エネルギーを持つ神の言葉によって創造された新しい心を持って、ですか。みことばはあなたに新しい心のことを語っています。それは、すべての人にまさにその方法を告げています。もしあなたが、みことばが語っていることと新しい心との間に一瞬でも時を経過させるなら、あなたは進化論者です。あなたが語られた言葉とあなたの経験におけるその成就との間に何らかの時を経過させるなら、あなたは進化論者です。

 この家の中には、はい私は信じる、私はそれ(新しい心)を持つのだ、私はみことばがそれを成し遂げる事を信じる、と言った方々がいます。しかしながら、その方々は次の集会まで時を延ばしました。そしてそれが続き何年も過ぎて行くのです。ですからその人々はそれだけの進化論者にすぎません。「非常に多くの人々が信仰と信心の奥義についてためらいつつも、宣言する事〔広く告げることと、それを口に出すこと〕によってそのことを解決することができた。『私はイエス・キリストが永遠に私の嗣業であることを知っています』と」。生みだす力が神の言葉の内にあります。そしてこのことが受け入れられると、創造エネルギーがそこで語られた事を生みだしていくのです。ですから皆さん、キリストが永遠にあなたの嗣業だということを知っていると宣言することにより、信仰と信心の奥義の問題全体を解決することができるのです。

 あなたのような罪深い肉のうちに、神はどのようにして現れることがおできになるのかということの中には奥義があります。しかし、覚えて下さい、今問題は、その奥義についてではありません。問題は、創造にそのようなことがあるかということです。あなたの内に清い心を創造できる創造主にとってそのようなことがあるでしょうか。それとも、物事一切はただ進化なのでしょうか。たった今も、また、この日より世の終わりに至るまで、セブンスデー・アドベンチストの間にこの問題は存在するにちがいありません。あなたは創造主を信じますか。そしてあなたが創造主を信じる場合、神はどのようにして創造すると信じますか。――もちろん、あなたは言います、神の言葉によって、と。たいへん結構です。では、神はあなたのためにみことばによって創造をなさいますか。あなたは進化論者に相対する創造論者ですか、それとも創造論者に相対する進化論者ですか。いかがでしょうか。

 別のことですが、みことばは「清くあれ」と言います。神がかつて「光りあれ」と言われると光がありました。イエスが、らい病人に「清くなれ」と言われました。すると「直ちに」清くなりました。彼は今あなたに言われます、「清くあれ」。すると今どうでしょうか。皆さん方全員何と言いますか。〔声;「そうなった」。〕ではあなたの魂のためにその創造のみことばに自分をゆだねなさい。聖書の中であなたに告げられている神の言葉の中の創造エネルギーを認めなさい。聖書の中の神のこの言葉は、今日ここであなたにとって高き宇宙に世界を呼び出し、闇に光をもたらした時と、また、らい病人に清めをもたらした時と同じだからです。今日あなたに語られたその言葉は、もし、あなたが受け入れたなら、キリスト・イエスにあってあなたを新しくします。語られたその言葉があなたの心の空虚な暗い空間にもし受け入れられたなら、そこに神の光を生みだします。罪のらい病で悩まされたあなたに今日語られるこの言葉は、もし受け入れられたなら直ちにあなたを清くします。そうさせなさい、そうさせなさい。

 私はどのようにして清くされるのでしょうか――「清くなりなさい」というその言葉の持つ創造エネルギーによって。ですから、「あなたがたは、わたしが語った言葉によって既に清くされている」と書かれているのです(ヨハネ15:3)。清くされていますか。あなたはこの瞬間から創造論者になるつもりはありませんか。それとも、進化論者であり続けるつもりですか。

 これがいかに祝福された事かおわかりでしょうか。あなたがみことばを読み、その言葉を受け入れて、その言葉を思い巡らすとき、それはあなたにとって常に何ですか。おお、それが創造です!創造エネルギーがあなたの内にその言葉が語っている事を生みだしているのです。そしてあなたは創造の力の臨在そのものの中に生きるのです。創造はあなたの命のうちにあって進められていきます。神はあなたの内に、義、聖、真理、忠実――あらゆるよいもの、慈愛深いものを造り出されるのです。

 ですから、このようであるなら、あなたの安息日遵守は実体のあるものです。というのは、安息日は創造の記念日であるからです――それを守る人は創造主を知っているというしるし――そして、創造の過程に精通しているからです。しかし、あなたが進化論者であれば、必ずやあなたの安息日遵守はまやかしです。

 あなたが、神の言葉を日毎にあなたの命の中の創造エネルギーとして認識しない限り、あなたの安息日遵守はまやかしです。なぜなら安息日は創造の記念日だからです。それは、「わたしとあなたがたとの間のしるしとなって、主なるわたしがあなたがたの神(すべてのものの創造主)であることをあなた方に知らせるためである」(エゼキエル20:20)。

 エペソ人への手紙第2章8節から10節に、次の言葉を私たちは読みます、「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それはあなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。決して行いによるのではない。それはだれも誇ることがないためなのである。わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである」。

 あなたは、何か良い行いを成し遂げる事を自分に期待する必要はありません。あなたはずっと努めています。進化論者は努力します。それを完成することのないまま常に努めています。自分が失敗することがわかるのになぜ良い行いをしようとするのですか。お聞きなさい。その内に創造エネルギーを持っているみことばにより、創造主ご自身により創造されるのでなければ、あなたの内にはどんな種類の善も、今から世の終わりに至るまで決してありはしないでしょう。そのことを忘れてはなりません。あなたはこの家を出て行くとき、良い行いに歩みたいでしょうか。良い行いをするためにイエス・キリストにあって造られていることによってのみ、それはなされ得ます。努める事をお止めなさい。創造主をごらんなさい。そしてその創造の言葉を受けなさい。「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにさせなさい」。そうすれば、良い行いが現れてくるでしょう。あなたはクリスチャンになるでしょう。それから、あなたは創造主と共に生き、創造のエネルギーの臨在の内にいるのですから、クリスチャンに属する喜び、静かな平安、そして真正の強さを持ち、築き上げていくことでしょう。

 「わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが良い行いをして日を過ごすようにとあらかじめ備えて下さったのである」と、神があなたに告げるとき、創造主を認めなさい――創造されたものでない行いには何の注意も払わずに、あなたの内に創造される良い行いだけを認めなさい。主によって創造されるもの以外には何の良いものもないからです。

 さあ、あなたはキリスト・イエスにあって新しく造られたのです。神がそう言っておられます。そうであることを神に感謝しなさい。なんですって!その聖句に関してあなたは進化論者となるつもりですか。その聖句は現在時制です、「わたしたちは神の作品である」。わたしたちは良い行いをするようにキリスト・イエスにあって造られたのです。あなたは造られましたか。みことばが語られました。それは創造する言葉です。神の言葉とあなたが新しく造られることとの間にどのくらいの時間を経過させるつもりですか。最初の創造においてみことばと物事との間に一分でも時間の経過を認める人は進化論者であるとみなさんは言いました。キリスト・イエスにあって良い行いをするように人を造られるという神のこのみことばに対して、あなたは今、どうあるのですか。ここではあなたがたは進化論者になるのですか。さあ、皆創造論者となりましょう。

 このように、栄光のうちにあって主にお会いする備えには、うんざりするほどのあきあきするような過程を要しないということがおわかりになりませんか。非常に多くの人々が自分自身を見つめています。彼らは本質的に主にお会いする用意を完全にするためにはとてつもなく長い時間をかけねばならないことがわかっています。もしそれが進化によってなされるなら、決して成し遂げられることはないでしょう。しかし、創造によってなされるならば、確実にすみやかに成し遂げられるでありましょう。私が先に引用したみことばは、ここにいるだれもが自分自身に当てはめることができるのです。「非常に多くの人々が信仰と信心の奥義についてためらいつつも、宣言する事〔それを口に出すこと〕によってそのことを解決することができた。『私はイエス・キリストが永遠に私の嗣業であることを知っています』」と。

 私たちがどれほどの進化論者であったかおわかりですか。やめようではありませんか。さあ、今、創造論者となりましょう。そして、そうすることによって完成されましょう。真実な安息日遵守者となりましょう。主を信じましょう。主はゆるしを語られます。彼は聖を語られます。それを創造なさいます。あなたの内に主がそれを創造なさるがままにしましょう。進化論者である事をやめて、主の創造のみことばがあなたのために働くままにしましょう。そのみことばが発したことをあなたの内に成し遂げるため、創造のエネルギーが働くようにいたしましょう。そしてあなたがこの家を去る前に、神はあなたに主に会う備えをさせることがおできになります。実際そのことの中にあってこそあなたは主にお会いするのです。そしてあなたがこのようにして主にお会いしたとき、また、このようにして日々主にお会いする時、そのときあなたは主にお会いする用意ができたのではないでしょうか。あなたは信じますか。みなさんは、神が語ったとき世界が造られた事、神が語ったときみことばによって光が生じた事、そして神が語ったときらい病人が「直ちに」清められた事を信じています。しかし自分に関しては、みことばが語られる時と、事実が完成される時との間にかなりの時間が経過しなければならないと考えています。おお、なぜあなたは進化論者になろうというのですか。創造、創造、――それが事実なのです。

 みなさんも私も人々を宴会に招かなければなりません。私たちはすべての人々に、「さあ、おいでください。もう準備ができましたから」と言わなければならないのです。私自身用意ができていないのに、すべて準備ができましたと言って人を招くことがどうしてできるでしょうか。それは始めから偽りです。私の言葉は人々に届かないでしょう。それは空しい音にすぎません。しかし、おお、私たちを準備させ、私たちを罪から清め、良い行いをするように私たちを造ったみことば、神が定めた進路に太陽が捕らえられるごとく私たちをしっかりととらえるそのみことばの創造のエネルギーが、その招きの中にあるならば、――そうすれば、私たちが出て行って、悪の内にある世に向かって、「さあ、おいでください。もう準備ができましたから」と言う時、彼らは聞くでしょう。彼らはその招きの中に、羊飼いである神の声の調子を聞くことでしょう。そして、彼らを新しい被造物にするための、招かれている宴会に備えさせるための、創造のエネルギーを彼ら自身のために求めて主のもとに行くようにと励まされることでしょう。

 これが今、世界史の中において私たちがいる所なのです。神の印は人々に印されつつあります。しかし、覚えて下さい。神はあらゆる汚れから清められていない人にその印を押すことは決してありません。神は良くない物、本物でないものにその印を押そうとはなさいません。みなさんは全く不義であるものに義の印を押して下さいと主にお願いするつもりですか。――あなたにはそのようなことをする厚かましさはないでしょう。あなたは、神は非常に正しい方であるのでそのようなことはなさることができないことをわかっています。それならば神はあなたを清くなさらねばなりません。そうすれば神はその印をご自分の作品に押すことができます。神は、ご自分の印をあなたの作品に押すことはできないのです。神の印は神ご自身が是認した文書にのみつくものです。神のご品性をあなたの心に書き付けていただきましょう。そうすれば神はその印をそこに押すことがおできになります。神の創造の言葉があなたの心の内にその目的を成し遂げたときにのみ、神はあなたの心の上に是認の印を書くことがおできになります。

 私たちは何という神のご臨在の内にいるかおわかりでしょう。このような主題を半ば究明するのにもどれほどの時間がかかるか、ある程度おわかりでしょう。しかし、兄弟方、私たちが立ち止まる時は、創造のなされる場に立ち止まりましょう。もはや進化論者にならないようにしましょう。神があなたに語られた言葉と、その事のあなたの内での成就との間に一瞬も経過させないようにしましょう。こうして創造のなされている場に生き、創造主と共に歩み、創造の力によって支えられ、創造のエネルギーによって感動さされているそのような人々でもって、神は短い間に世を動かす事がおできになります。

 もし、みなさんが最初、今日のような場合にこれは奇妙な主題だと思われたとしても〔この日は祈祷週の最終日であった〕、今はまさしく現代の真理である事がおわかりでしょう。世のすべての男女は創造論者か進化論者かのどちらかです。進化論は不信心であり、死です。創造論はキリスト教であって、命です。創造、キリスト教、そして命を選びなさい。そうすればあなたは生きる事ができるでしょう。創造論者でのみありましょう。永遠にそうでありましょう。そしてみなさん、アーメンと言いましょう。

 レビューアンドヘラルド
1899年2月2l、28日、3月7日
(井深光子 訳)
http://www.gem.hi-ho.ne.jp/sabbath/short/creation.html
 
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