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話を元に戻して

 投稿者:おずおず  投稿日:2006年 5月14日(日)20時40分19秒
  らい、めしい、石女、悪魔に憑かれた人(多分、今で言えばてんかんその他の精神疾患)、罪人、たちは、旧約聖書の世界では救われようのない人たちです。
一方で、新約聖書の世界では、イエス様は、彼らに救いを与えています。

イエス様が救いを与えた彼らを教会が救わず、今もいわれのない(神がすでに否定している)差別を続けているとすれば、それは神の教えに背くことではないのでしょうか?
 

建前と現実はちがいます。

 投稿者:おずおず  投稿日:2006年 5月10日(水)11時11分26秒
  すみません。この件についてはこれ以上は勘弁してください。  

そうですか?

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2006年 5月10日(水)05時54分43秒
  日本国は思想信教の自由が建前です。公務員であればなおさらでしょう。ここに実
名と自己紹介をして意見を述べただけでおずおずさんを批判するような奴がいるな
ら私が行って成敗して進ぜます。
 

申し訳ありません

 投稿者:おずおず  投稿日:2006年 5月 9日(火)07時35分5秒
  私は田舎の地方公務員です。
この仕事は基本的に、思想、信条、特に宗教や政治に関する意見を公にすると、どこからどんな批判が職場宛にくるか分からないものです。
ですから、素性を明らかにすることはご勘弁お願いしたいのです。
もしそれがこの掲示板の趣旨に反するというのでしたら、この投稿を最後にさせていただきます。
 

ご協力をお願い申し上げます

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2006年 5月 8日(月)23時44分52秒
  当会議室・掲示板で発言の方は、実名表記だけではなく、自己紹介をはじめにお願いしたいと思います。  

失礼しました。

 投稿者:おずおず  投稿日:2006年 5月 8日(月)20時35分54秒
  題名は、「削除されても異議はありませんけれど」とするつもりで、間違えました。  

削除されても意義はありません仕方ないですけれど

 投稿者:おずおず  投稿日:2006年 5月 8日(月)20時31分54秒
  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060506-00000047-mai-soci
より、
> 聖書中の「らい病」「重い皮膚病」などの表記を改める活動をしている。普及率の高い聖書で表記をやめたケースもある。

みなさんはどうお考えになりますでしょうか。
私は、このケースは聖書の教えに反していることにはならないと思うのですけれど。
 

見ました

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2006年 5月 1日(月)05時11分56秒
編集済
  斉藤先生

これは一体誰が作っているブログなんでしょうか。一応関心があります。昔「創造
学校HP」をつぶしになだれ込んできた反創造論の人たちと関係があるとするなら
これはなりゆきの皮肉でたっぷり笑えますね。

私も斉藤先生と同じ意見です。神が創造論に反対する人を利用して創造論を広めて
くれるのをゆっくり眺めていようと思います。
 

こんなの見つけました

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2006年 5月 1日(月)00時27分51秒
  http://transact.seesaa.net/article/14638269.html

作者の意図は反創造論で、毎日創造論に関する記事を更新されているようです。
創造論を否定する内容ですが、創造論を元々信じていない日本では、
こうした記事はかえって創造論を知らない日本人に創造論を教えることになるのではないかと私は思います。90年代にはこうした記事さえ見ることができませんでしたが、2000年以降は反創造論の形であっても創造論を紹介するサイトが急増しています。その意味ではありがたいとさえ思います。

 記事が正確であれば、私は特に反対しませんので、どんどん創造論のことを書いてほしいと思います。作者の意図に反して、書かれたものを読んで、かえって進化論の間違いと創造論の正しさを知る人が増えると思うからです。

 かつてキリスト教を迫害したサウロは、キリスト教の大伝道者パウロへと変わりました。キリスト教撲滅論を書いたルー・ウオレスは、改心し、集めた資料を基にイエスが神であることを表す「ベン・ハー」を書きました。日本でも平気で人殺しをするヤクザが牧師になりました。神は人間を180度変えられる方です。神に逆らえる人は一人もいません。ですから、きっとこのサイトの制作者も創造論を否定するために熱心に資料を集めれば集めるほど、かえって進化論のおかしさに気づき、創造論者になっていくと私は確信しています。
5年後に、この方が、私はかつて間違っていたと言って、反進化論のサイトを作るようになるのではないかと考えると、私はわくわくしてきます。神は反創造論のサイトを通してでさえ、創造論者を生み出す方です。
創造主である神様が、この方のサイトをどのように利用してご自分の目的を果たされるのか、私は楽しみにしています。

(長谷川先生へ 趣旨にあわなければこの投稿を削除してください。)
 

(無題)

 投稿者:吉野 務  投稿日:2006年 4月12日(水)22時36分42秒
  お久しぶりです。最近ここに繋がらないなと思ってましたが、、。
人間は不完全なのですから、その不完全が構築した理論体系で完全を見ようとする時、自らを投影する事になると思いますね。要するに科学と言う不完全の罠に嵌り込んだとすれば、どんどん逆に真理から遊離して行くという寸法です。その事は現行社会を見れば一目瞭然でしょう。
 

2chから拾ってきたつまらないものですが

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2006年 4月 8日(土)12時52分49秒
  2ちゃんねるにこんな変な興味深い記事があったので拾ってきました。
匿名で書いているのだから著作権など関係ないと思いますので無視して
引用して、コメントをつけておきます。

(引用開始)
「聖書の奇蹟は科学的に証明できる」と主張する人々は

ある現象が科学的に証明されたとすれば、
条件さえ整えてやれば、誰でもその現象を再現できるはずである。
仮に、「イエスが水の上を歩いた」という奇蹟を科学的に証明できたとすると、
条件さえ同じにすれば、我々もイエスと同じく、水の上を歩けるはずである。
人が誰でも原理的には水上歩行が可能であれば、水上歩行は「奇蹟」でも何でもなくなってしまう。
「聖書の奇蹟は科学的に証明できる」と主張する人々は、
奇蹟をごくありきたりな物理・化学現象に還元しようとしているのである。
ただし、本人たちにはそのような自覚がなく、
奇蹟が科学的に証明されることで信仰が強められると信じているようである。
もともと、奇蹟とは人間の理解を超えた超常の業だったはずである。
「えーっと、こうやってこうやると、ほら水の上を歩けるでしょ?」となってしまえば、
奇蹟でも神秘でもなくなる。
しかし、そうすることが正しい信仰のあり方と信じて止まない人たちもいる。
また、「水上歩行は科学的には不可能」と指摘されると、信仰心を傷つけられたと憤る人たちもいる。
しかし、科学的に不可能なものは不可能と指摘するしかない。
それでも信ずるのは各人の自由である。信仰を否定しているのではなく、
「水上歩行は科学的に証明できる」という説を批判しているのであるが、
その区別がつかない人たちがいる。
「聖書は神の言葉」とするのはかまわないが、「聖書の一語一句は科学的にも正しい」とすれば、
擬似科学となり、科学者から批判を受けることになる。
擬似科学に対する批判を信仰に対する批判と同一視し、
「反キリストだ」とか「救われない」といった非難を、
擬似科学を批判する科学者に浴びせる人たちもいる。

(引用終了)

これは進化論を受容するキリスト教会の人が我々の創造科学を批判する材料に使う
前に我々が整理してこちらの武器にしてしまいましょう。

次のように理解してみてください。まず、奇跡とは神の力の介入であると信じてい
る我々は、奇跡を疑いません。第一に、聖書の創世記に書かれている通り、我々は
この世界が文字通りの6日間で創られたものであることを信じています。創造科学
とは神の創造された自然界の被造物や科学の法則に神の働きのあとを見ようとする
ものです。
第二に、創造科学は、神のわざは神の自ら創られた自然法則に反するものではない
と考えています。しかしそれは神の奇跡を非神化することにはなりません。なぜな
ら神が物質を超えた存在なのですから神の力もまた科学として論じられないもので
す。我々が科学として論じられるのはその力の為した結果に過ぎないという厳密な
理解が求められます。よって、神の言葉が科学的に正しいのではなく、神の言葉が
創造したものが科学的に正しい、というのが正確な理解です。これで誤解の余地は
ありません。
 

とりあえず

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2006年 3月21日(火)09時29分3秒
  > 前提の正しさと、仮説の正しさは別の話だといっているのです。
理由は、ある仮説を導くのに必要な前提は、一意に指定されないからです。

 もしどんな前提でもいいのであるならば、なぜ「この世界は神が創造した」という前提を取ることを進化論者は断固として拒否するのでしょうか。この前提で考えてきて、これまで有用であった実績があるのですから、生命の発生についても同様に考えることは合理的だと思います。

>科学の強力な説得力は斉藤様の仰るとおり「実際に目に見える」もののみで理論を構築していったからだと考えています。

 「実際に目に見える」もののみで理論を作るなら、たとえば生命の自然発生や大進化などはこれまで1例として実際には観察されていないのですから、説得力に欠けると思います。生命は自然発生しない、大進化はないと言う方が、説得力に富むと私は思うのですが、野田様はどうお考えですか。

> 斉藤様の信じる神とは違うかもしれませんが、神を信じている人は多いのではないでしょうか。

 そうですね。私の説明が悪かったので、そのとおりです。「進化論者が自分達の説の正しさを主張するために、<聖書に書かれているとおりに6日間で世界を創造された>神を前提する考えを否定しただけのことではないでしょうか。」に訂正いたします。確認してはいないのですが、ニュートンらの考えていた神も、この6日間で創造した神であったろうと思います。イスラム教でも、神は6日間で世界を創造したことになっているそうですから、昔は多くの科学者が6日間での創造を受け入れていたと思います。

 *唯一神を信じている私にとっては、「神」とは聖書の神であってそれ以外の神は存在しません。しかし、考えてみれば、たくさんの神があると考えている他の人にとっては、「神」だけではどの神かわかりませんね。説明不足ですみませんでした。
 

すみません。遅くなります。

 投稿者:野田哲  投稿日:2006年 3月21日(火)01時41分28秒
  すみません。仕事が滞って、返事が遅くなります。

一点だけ。
> もしそうなら、(中略)有効性を失っていないとばかり思っていました。
私は、有効性が失われたとは言っていません。
前提の正しさと、仮説の正しさは別の話だといっているのです。
理由は、ある仮説を導くのに必要な前提は、一意に指定されないからです。

また、科学の強力な説得力は斉藤様の仰るとおり「実際に目に見える」もののみで理論を構築していったからだと考えています。

> 確認できない神が存在するということを受け入れることが、現象説明に有用ではないと言う事実は、歴史からは読みとれないのではないでしょうか。
はい。私もそう思います。私は、神の存在を受け入れることと、現象説明は関連が極めて薄いと思っています。

> 進化論者が自分達の説の正しさを主張するために、神を前提する考えを否定しただけのことではないでしょうか。
これは如何かと思います。斉藤様の信じる神とは違うかもしれませんが、神を信じている人は多いのではないでしょうか。

ひとまず、これで。
続きは、また後日にさせて下さい。
 

遅くなりました

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2006年 3月19日(日)02時32分2秒
  >「無秩序であると考える」⇒「法則や再現性がない」という意味でしょうか?

はい、そういう意味です。

>独我論を連想するのですが、この理解でよろしいでしょうか?

「真に実在するのは自分の自我だけであり、他者や外界の事物は自らの意識内容にすぎないとする考え」を独我論というのであれば、これと「無秩序であると考える」こととの関係がわかりません。



>>信仰を知らずに「科学」を論じることはできないことを認めていただけないでしょうか。
>これには同意できません。

私は信仰を「知らずに」と申し上げたのであって、「受けいれずに」とは言っていません。誤解なさっておられませんか。キリスト教を信じなくてもいいのです。私はキリスト教ないし聖書の知識が必要であり、それがなければ科学を正しく理解できないと考えています。その理由は、近代科学がキリスト教の背景にもとに産まれたという歴史的事実があるからです。さらにいえば、進化論と創造論の対立問題もキリスト教信仰を知らなければ、本当の意味での理解が困難です。仏教を信じている五木氏はキリスト教信仰を知っているので、科学を正しく理解しています。


>科学そのものは、時代ごとの哲学に影響されながら、それ自体の有効性や適用限界について整備されつつあると思います。

もしそうなら、科学は時代が進むに連れて整備され、かつてのものは有効性を失っていくと言うことですね。そこで、教えていただきたいのですが、ニュートンら創造論者の唱えた科学は現在その有効性を失ったと考えるのでしょうか。わたしは今でもこれらは天文学なり物理学の土台として有効性を失っていないとばかり思っていました。既に失っているのなら、有効性を失った創造論者の科学をなぜ中学高校で教えるのですか。
 もし、ニュートンらの科学が有効性を失っていないのなら、キリスト教を土台とする考えも有効性を失っていないと考えられるのではないでしょうか。神を前提とする考えではうまくいかない代表が進化論であって、進化論者が自分達の説の正しさを主張するために、神を前提する考えを否定しただけのことではないでしょうか。

>私は、科学という思考様式が、キリスト教と独立したものと捉えて良いのではないかと考えています。

「独立」というのは何を意味しているのでしょうか。科学とキリスト教は扱う領域が異なりますから、独立していると言えますが、キリスト教を前提にして科学は発達したという点を見れば全く別個に独立しているわけではないとも言えます。神が万物を造られた以上、科学はキリスト教と言うより、神の支配下にあるというのが私の考えです。


>ユダヤ教とキリスト教の関係になぞらえることができるのではと思ってしまいます。

キリスト教がユダヤ教から生まれたように、科学はキリスト教から生まれたと言うことを意味するのでしょうか。


>「真犯人が神である」はどんな観測をすれば、確認できるのかという点が不明なのです。
そのため、その仮説は「現象を説明するのに有用でない」と判断されるのだと思います。

問題は「確認できないもの(神)が存在する」という命題を受け入れるかどうかではないでしょうか。神は科学の方法では確認できません。出来ないから存在しないとは言えません。もちろん、存在するとも言えません。ニュートンらはこの命題を受け入れ、これをもとにして、現象を説明するのに有用な発見をしたのです。ニュートンに限らず多くの科学者がこの命題を受け入れたので、近代科学は発達しました。確認できない神が存在するということを受け入れることが、現象説明に有用ではないと言う事実は、歴史からは読みとれないのではないでしょうか。


>キリスト教を信じていない人間からすると、キリスト教の正しさを確信できるところまでは行かないのです。

 私はクリスチャンですが、私もこの仮説が正しければ「キリスト教の正しさを確信できる」とは思いません。もしかしたら、創造科学は信仰の正しさを確信するためのものと考えてはいませんか。信仰は科学に基づくものではありません。聖書によるものです。科学は信仰の正しさを確信すると言うよりも確認するものだと私は考えています。科学によって確信する信仰は、聖書の述べる信仰の定義とは違うと思います。聖書は「信仰とは望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」(ヘブライ11:1)と言っています。

>科学に一般に用いられる範囲以上の意味を持たせ過ぎているのでは無いかと思ったのです。

 「一般に用いられる範囲以上の意味」が違うと思います。歴史的に言っても、一般人にとっても、神を前提にすること自体は科学の意味に当てはまると思います。「一般」とは日本人進化論科学者のことですか。現在でも、創造論者に限らず進化論者の中でも世界中の多くの科学者が神を信じています。野田様の「一般」は何を根拠にされたのでしょうか。日本ほど宗教心のない国はほとんどありません。宗教の価値を否定する人が多い日本の「一般」は世界からみれば「特殊」です。世界の一般の人々の考えは、(キリスト教に限らず)「神」の存在を認め、神を前提にすることが科学に反するとは考えていないと私は思います。

>斉藤様が見る月と私が見る月が同一でないと考えるのは難しくないでしょうか。

 月は確かに同一ですが、問題は同じものを見ても、全く異なる体験をするということです。「ルビンの壺」という心理学でよく使われる絵を御存知かと思います。白地を見れば向かい合った人の顔が、黒字を見れば壺が見えるという、あの絵です。人は同時には二つに絵を見ることができず、どちらかしか見られません。あれと同じで、同じものを見ても、全く違う見方が出来るのです。
 私は化石は進化の証拠ではなく、創造の証拠だと考えています。ダーウィンは弱肉強食の自然界を見て、神が愛であるという教えをを疑いました。しかし、私はその中にも神の愛を認め、この世が神に造られた確信を得ます。私は人の死を見てもその人の復活を信じ、天国での再会の希望を持ちますが、失礼ながらおそらく野田様は復活は信じず何の希望も持てないことでしょう。このように、たとえ同じものを見たとしても、全く違うのです。まして、実際に同じものを見ていなかったらなおさらです。この世に変わらない真実があるとしたら、それは絶対者なる神だけです。


>それは強烈なリアリティを有した確信ではないでしょうか。

もうしわけありませんが、私にとっては、確認できない神の存在ほど、「強烈なリアリティ」を有するものはありません。神がいなければ私の存在もないのですから。
 また、私は見えるものには確信を置きません。「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」(第2コリント4:18)。野田様はなぜ見えるものにそれほどの確信を置くことが出来るのでしょうか。

>「科学」と呼称するのは、一般に言う「科学」と異なるのでまずいのでは無いかと考えているのです。

 繰り返しますが、「一般」が何を指すのかが問題です。一部の専門家が考えているだけではないのでしょうか。野田様の意見だと、創造論を信じている科学者は、「一般には」科学者とは呼べないことになるのではないでしょうか。私の知る限りでは、創造論者のニュートンは「一般に」科学者と呼ばれていると思います。創造論者であっても大学教授なら「一般には」科学者と言っていると思います。
 

良いと思います

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2006年 3月17日(金)07時00分11秒
  野田様

あなたの思考は柔軟なので創造科学のパラダイムを理解する準備が出来ているよう
に思えます。一般に創造科学は脳味噌が硬化変性した人には向いておりません(笑)
が、柔らかい人には理解の糸口が与えられます。まあ気長にお付き合い下さい。
 

キリスト教と科学の関係

 投稿者:野田哲  投稿日:2006年 3月17日(金)05時38分47秒
  ご意見、ありがとうございます。

管理人様
> 運動方程式などの自然科学の「法則」とは、神の創られた世界のパラダイムを説明するための人間の導き出した便宜上の公理に過ぎないという認識です。
そういう認識を持つことは、問題無いことと思います。
むしろ、「そんなこと思ってもいけない」ということは倫理的にあってはならないことと思います。


斉藤様
> なぜこの世界に法則があるのか。それは神が造られた世界だからであり、神は人間に自然界を理解する力を与えたからだという信仰があったからこそ、科学は成立したのです。
これは、その通りだと思います。


> 自然界は無秩序であると考えるなら法則はなく、再現性もなく、科学は成立しないと思います。
「無秩序であると考える」⇒「法則や再現性がない」という意味でしょうか?
独我論を連想するのですが、この理解でよろしいでしょうか?
もっとも、物自体が存在し、人間の思惑とべつに法則があると考えると、唯物論的になってしまいますね。


> > 創造主がこの定理を造った。」の部分は、証明できない事柄に属することだと考えます。
> ええ、証明できないと思います。でも、「神が造ったのではない」も証明できません。
はい、そうだと思います。

> 証明できないことを信じることから科学は生まれてきたということを何度も言っているのですが、わかっていただけないのでしょうか。
いえ、これには同意しています。

> 信仰を知らずに「科学」を論じることはできないことを認めていただけないでしょうか。
これには同意できません。
近代科学の幕開けに、キリスト教信仰が大きな影響を与えたとは思います。
しかし、その後科学自体が発達し、当時は大きく異なるほどに理論的に整備されてきた現代科学を同列にすることは出来ないと思います。
科学そのものは、時代ごとの哲学に影響されながら、それ自体の有効性や適用限界について整備されつつあると思います。

私は、科学という思考様式が、キリスト教と独立したものと捉えて良いのではないかと考えています。
キリスト教徒でないものでも、科学に大きく貢献した人もいることはその傍証になるのではないかと思います。

#宗教史に疎い私の感覚では、ユダヤ教とキリスト教の関係になぞらえることができるのではと思ってしまいます。
#もし、ユダヤ教とキリスト教の関係を分かりやすく説明したWebページがありましたら、ご紹介頂けないでしょうか?

> 真犯人が神であるという仮説を立てて考えることは悪くないと思うのですが、実際にはその仮説は立ててはいけないと言われます。
「真犯人が神である」はどんな観測をすれば、確認できるのかという点が不明なのです。
そのため、その仮説は「現象を説明するのに有用でない」と判断されるのだと思います。
(価値や意味がないと言っているのではありません。)

前提:神が創造された世界には秩序がある
仮説:クーロン力は、距離の2乗に反比例する
観測:仮説が十分に有効に成り立つ法則であると観測された

この場合、仮説は観測によって「仮説が正しい」と確信できます。
しかし、キリスト教を信じていない人間からすると、キリスト教の正しさを確信できるところまでは行かないのです。

前提:人間の考え出した数学的美しさが世界に存在する
仮説:クーロン力は、距離の2乗に反比例する
観測:仮説が十分に有効に成り立つ法則であると観測された

となった場合、その前提は「うん、面白い世界観だね」でおわる話だと思うのです。
つまり、仮説の有効性と前提の有効性は必ずしも一致しないと考えているのです。


> 証明されない神を前提としている創造論を批判する
創造論を批判したつもりはありませんでした。
ただ、科学に一般に用いられる範囲以上の意味を持たせ過ぎているのでは無いかと思ったのです。


> >私個人としては、「人間は皆同じものが見えている、同一の世界を体験している」という(保証の無い)確信が科学の前提にあるものと考えています。
> その確信の根拠はどこにあるのですか。なんとなくですか。根拠がなければ、「同一ではない」という見方も同じように出来るはずです。
たとえば、斉藤様が見る月と私が見る月が同一でないと考えるのは難しくないでしょうか。
友人が奈良旅行で見た東大寺は、私が奈良に行けば見ることの出来る東大寺とは別物だと確信できるでしょうか。
私達は、同一の世界に住んでいると、無自覚に確信しているのではないでしょうか。
そして、それは強烈なリアリティを有した確信ではないでしょうか。
この確信は誰しもが有している確信であると考えています。
これが科学の前提にあると思っています。
(だからといって、科学に何かしらの影響があるとは思っていません)

もし、キリスト教を前提とした独自の考え方・見方をするのであれば、それはそれでよいと思っているのです。
ただ、それを「科学」と呼称するのは、一般に言う「科学」と異なるのでまずいのでは無いかと考えているのです。


> 厳しいことを書いたかも知れませんが、私は野田様にキリスト教信仰を強要するつもりはありません。
いいえ、自分の意見に対して、直接異なる意見を頂けることは、とても楽しいことと思っています。
これからもどうぞお付き合い下さい。
 

理解していただけたでしょうか

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2006年 3月17日(金)00時05分50秒
  >> より重要なのキリストへの信仰です。
>>ニュートンの運動方程式を理解するのに「神への信仰」は必要ありません。
>ここの2つの部分が矛盾しているように見えます。

長谷川先生も書かれていますが、法則それ自体を理解するときに信仰は必要ないからこそ、どの宗教の人にとっても問題なく受け入れることが出来ます。しかし、その法則の背景を理解するときには、信仰が必要です。なぜこの世界に法則があるのか。それは神が造られた世界だからであり、神は人間に自然界を理解する力を与えたからだという信仰があったからこそ、科学は成立したのです。この世界に秩序があるからこそ、定理なり法則を見つけることが出来ます。なぜ秩序があるのか。それは「神は無秩序の神ではなく、平和の神だから」(1コリント14:33)と信じたからです。自然界は無秩序であると考えるなら法則はなく、再現性もなく、科学は成立しないと思います。

 ですから、科学の背景にキリスト教信仰があるということを、作家の五木寛之氏の言葉を引用して説明したのですが、どうもご理解いただけなかったようです。それとも、理解した上で野田様はこの見方に反対なので、矛盾していると言われたのでしょうか。

> 創造主がこの定理を造った。」の部分は、証明できない事柄に属することだと考えます。

 ええ、証明できないと思います。でも、「神が造ったのではない」も証明できません。

>「創造主はいない」や「聖書は間違っている」を証明or反証するために、何を示せばよいのかが見当もつきません。

 証明できないことを信じることから科学は生まれてきたということを何度も言っているのですが、わかっていただけないのでしょうか。「証明」にこだわりすぎて、科学の本質が見えなくなっているのではありませんか。自分がこれまで思いこんできたものを捨てるのは勇気が要りますが、信仰を知らずに「科学」を論じることはできないことを認めていただけないでしょうか。(キリスト教信仰を持たなければいけないというのではありません。)


> 神が登場するのは、「このような合理的で美しい世界が出来たのは、神の御業です」という締めの部分だけです。

 なぜ「締めの部分だけ」と思われるのですか。私はむしろ、最低でも最初の部分に神が登場すると思います。合理的な世界があると考える前提条件が神の存在なのですから。神が存在するから、合理的な世界が出来たのです。


>理論の中には登場してきません。だからこそ、キリスト教信仰のない人でもその説明を理解し受け入れてきたのだと思います。
>#当然、「実際に目に見える」という、強力な説得力があったことも受け入れられた理由の一つだと思います。

 私はむしろ、「実際に目に見える」ということの方が大きかったのではないかと思います。理論に神が出てきたとしても、実際の現象に当てはまるなら受け入れられたのではないでしょうか。証明できないものを前提にしていたとしても、実際にそれが現実に説明可能なら、問題ないのではないでしょうか。

> ここで言う「実績」とは、何を指しているのかが不明です。

 神を前提にしてきた近代科学が、現代科学の土台となっていることです。

> 「合理的な説明をするための必要だから創造主がいる」のではなく、「創造主がいる」と疑いなく確信して、それとは別に「世界は合理的に出来ているはずだ」と予断していたのだと思います。

 「それとは別に」は論理的におかしいと思います。それではなぜ世界は合理的に出来ていると考えられるのか、説明できません。創造主がいる。ゆえに、世界は合理的に出来ている
と彼らは考えたと思います。

> 創造主を使わない説明を考えているだけだと思うのです。
>人間には「真犯人」がだれか分からないというスタンスから出発しているだけではないでしょうか。

 それならば、真犯人が神であるという仮説を立てて考えることは悪くないと思うのですが、実際にはその仮説は立ててはいけないと言われます。つまり、「真犯人が誰かわからない」ではなく、明らかに「真犯人は神以外の誰かわからない」=「真犯人は神ではない」ということを意味していると思います。

>この前提に立って考えるからこそ、ヒンズー教を信じるインド人でも〜「妥当である」と思える理論を構築できる

 そうではないと思います。既に野田様自身が述べられていますが、理論の中に神が登場せず、「実際に目に見える」という、強力な説得力があったからではないでしょうか。日本人は前提が何かを知らずに科学を受け入れてきました。五木氏の言葉を繰り返します。「科学の背景にも神に対する信頼が厳としてあるのです。しかし、このことに日本人は気づいていない。科学的態度というのは神を否定することだと考えたり、見えないものを信用しないことが科学的姿勢だと誤解している。しかし、じつは科学そのものが、見えないものへの無限の信頼の上に成り立っているわけです。」


>私個人としては、「人間は皆同じものが見えている、同一の世界を体験している」という(保証の無い)確信が科学の前提にあるものと考えています。

その確信の根拠はどこにあるのですか。なんとなくですか。根拠がなければ、「同一ではない」という見方も同じように出来るはずです。野田様自身が保証のない(証明されない)ものを前提にしているのであれば、証明されない神を前提としている創造論を批判するのは矛盾していないでしょうか。

 厳しいことを書いたかも知れませんが、私は野田様にキリスト教信仰を強要するつもりはありません。ご理解ください。
 

難しく考えすぎてはいませんか

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2006年 3月16日(木)09時32分30秒
編集済
  野田様



そうですか。塾の先生でしたか。私も大昔に塾で高校生に数学や物理を教えるアル
バイトをしたことがありますが、あれは出来るだけ理論を単純直裁に伝授しなけれ
ばなりません。ここで野田様もひとつ単純にお考えになってくださるようにお願い
いたします。

運動方程式を理解するのに神の信仰は必要ありませんと言うなら、それは理論の運
用上はそれでよろしいと思います。但しそういう物理法則をすべてこの世界で支え
ているのはこの世界を創造された神の御手であるという認識をお願いします。もち
ろん創造論は先に述べたとおりそれ自体科学ではありませんから神がどのように物
理法則を創られたかは論じていません。そもそも我々が物理法則と呼んでいる法則
自体は現象の観察から理論的に導き出してきた科学運用上の定義であって、神が創
られたものではありませんからそこのところは引き下がって考える必要があります。
つまり、運動方程式などの自然科学の「法則」とは、神の創られた世界のパラダイ
ムを説明するための人間の導き出した便宜上の公理に過ぎないという認識です。そ
ういう認識を持っているなら、たとえ運動方程式で説明できない未知の自然現象に
遭遇しても柔軟に対処することができるようになるのです。進化論者に決定的に欠
乏しているのはそういうマルチパラダイムに対応できる柔軟な科学的思考能力です。
 

確信には人間の中にある。

 投稿者:野田哲  投稿日:2006年 3月16日(木)03時37分55秒
  お返事頂き、ありがとうございます。

> 現象の説明は科学でなければ出来ない
私は、そう考えてはいません。誤解を招く表現をしてしまい申し訳ありません。
私は、「科学=現象を説明するための思考様式である」と考えていますが、その逆は考えていません。


> 現象を神なしに説明することを科学としたこと自体、既に、現象の背後には神などいないという立派な形而上学(自然主義)を持っているということもお分かりにならないのでしょうか?
より多くの人が納得できる説明をするためには、神を使わないほうが良いという意味で、神なしで説明した方が良いと考えています。
逆に、現象を神の力で説明する場合、どの神ならば使ってよいことにするべきか、判断が難しいと考えています。
世界中には数多くの神がいます。数の多少はあるでしょうけど、それぞれの神の信者は、信じている神がいると確信しているでしょう。
この場合、どの神の説明が真実で、どの神の説明は真実では無いと判断するのか、その線引きは簡単では無いと思います。


> 野田さんは(自然)科学=自然主義(唯物論)という科学観の持ち主
自分としては、唯物論できれいに説明できるとは考えていないつもりです。
わたしの文章のどの当たりがそう主張しているように読めるのでしょうか?
今後、気をつけて書きたいと思いますので、ご指摘頂けたら幸いです。


斉藤様
> 合理性への信仰はキリストへの信仰に基づいています。より重要なのキリストへの信仰です。

> >ニュートンの運動方程式を理解するのに「神への信仰」は必要ありません。
> はい、必要ないです。
すみません。ここの2つの部分が矛盾しているように見えます。

> 創造主がこの定理を造った。そして、その定理はこうだと説明してもいいのであって、実際ニュートンはそう考えたのだと思います。
これは、その通りだと思います。ただ、「創造主がこの定理を造った。」の部分は、証明できない事柄に属することだと考えます。


> 「創造主が造ったことを認めるから」なのは、なぜなのでしょうか。
証明または反証が出来ないからだと思います。
「創造主はいない」や「聖書は間違っている」を証明or反証するために、何を示せばよいのかが見当もつきません。


> 近代科学は神がいるという前提の下で説明を行い、キリスト教信仰のない人でもその説明を理解し受け入れてきました。
その説明の中には神は登場していません。
神が登場するのは、「このような合理的で美しい世界が出来たのは、神の御業です」という締めの部分だけです。
近代科学を構築した人々は神の存在を確信していたと思いますが、理論の中には登場してきません。
だからこそ、キリスト教信仰のない人でもその説明を理解し受け入れてきたのだと思います。
#当然、「実際に目に見える」という、強力な説得力があったことも受け入れられた理由の一つだと思います。


> ですから、神がいるという前提は十分信頼できることであり、実績があります。
確かに、神の存在は理論構築の前段階から十分に信頼されてると思います。
ただ、ここで言う「実績」とは、何を指しているのかが不明です。

> 近代科学は、創造主がいると考える方が合理的であるという前提の下で発達してきました。
これは、今までの話とは微妙に異なるのではないでしょうか。
「神の理性は複雑さではなく、単純、簡潔さを選んだであろう、とコペルニクスは考えた。」とあります。
つまり「合理的な説明をするための必要だから創造主がいる」のではなく、「創造主がいる」と疑いなく確信して、それとは別に「世界は合理的に出来ているはずだ」と予断していたのだと思います。


> 「創造主がいない」ということを前提にするように強要するのですか
「創造主がいない」ことを前提にしているのではないと思います。創造主を使わない説明を考えているだけだと思うのです。
人間には「真犯人」がだれか分からないというスタンスから出発しているだけではないでしょうか。
この前提に立って考えるからこそ、ヒンズー教を信じるインド人でも、古事記を信じる日本人も、道教を信じる中国人でも「妥当である」と思える理論を構築できるのだと考えます。


私個人としては、「人間は皆同じものが見えている、同一の世界を体験している」という(保証の無い)確信が科学の前提にあるものと考えています。
 

信頼できるのは科学よりも神

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2006年 3月15日(水)23時54分10秒
  >村上陽一郎氏の本を読んだことがあるのですが(題名は覚えていません)、その中で重要視されていたのは「世の中は合理的に出来ているという信仰」であったと記憶しています。

「近代科学を越えて」にはこう書いています。ここでは合理性という言葉は使っていませんが、大体同じ意味だろうと思います。

「神の理性は複雑さではなく、単純、簡潔さを選んだであろう、とコペルニクスは考えた。そして、科学に、こうした信仰に由来する一種の信念が持ち込まれるのは『前近代的』である、と現代では見なされる。なるほどわれわれは万有引力が『逆2乗』であって、
『逆1,98乗』ではない、と考えるに当っても別段神様を持ち出すことは通常はしない。しかしながら、自然界の構造を定式化するのに、出来るだけ簡単な形に仕上げる、もしくは、その定式化は簡単な形になるはずだ、という信念は、我々にも前提とされており、そうした信念が経験に基づくものと言うよりは、経験に先立つものという性格を備えていることは明かであり、その点では我々もコペルニクスと同断である。」24p
「『自然は無駄なことをしない』という『簡潔性』の要請の一つの表現型は、実は『神は自然を一切の無駄なく創り給うた』という意味であった。『無駄』というのは、知識と能力の欠如から来ており、したがって全知全能なる神の業のなかに、それがあることは許されないのであった。」74p

>重要なのは「キリストへの信仰」というよりも、「合理性への信仰」であると考えていました。

 上の引用でおわかりのように、合理性への信仰はキリストへの信仰に基づいています。つまり、より重要なのキリストへの信仰です。どうも日本人は、キリスト教信仰なしに科学を言うものを捕らえたいようですが、それは歴史を無視した見方です。仏教徒で文学者の五木寛之氏さえ、こう述べています。
「科学の背景にも神に対する信頼が厳としてあるのです。しかし、このことに日本人は気づいていない。科学的態度というのは神を否定することだと考えたり、見えないものを信用しないことが科学的姿勢だと誤解している。しかし、じつは科学そのものが、見えないものへの無限の信頼の上に成り立っているわけです。そのことを学ばなければ、日本人は間違った欧米文明や文化を摂取したことになってしまうでしょう。」「運命の足跡」199p


>ニュートンの運動方程式を理解するのに「神への信仰」は必要ありません。その正しさを検証するのに、聖書は必要ありません。

 はい、必要ないです。逆に言えば、信仰があっても問題ないわけです。創造主がこの定理を造った。そして、その定理はこうだと説明してもいいのであって、実際ニュートンはそう考えたのだと思います。

 以上のことをふまえた上でおたずねします。では、進化論者が創造論は科学ではないと否定する理由の第一が「創造主が造ったことを認めるから」なのは、なぜなのでしょうか。
私には、創造主が造ったと考えることも、科学だとしか思えないのですが。

> >説明さえ出来れば、真実と違っていてもいいということでしょうか
>ここはよく理解できませんでした。科学は「現象の説明」ですので、「説明できる=信頼できる」だと思っていたのですが。

 私が述べた真実とは、先の例で言うなら、殺人を犯したのは、殺人方法を説明できたAではなく、真犯人のBであるということです。ある男Aの殺人を説明できるからと言って、それだけではAを犯人にすることは出来ないと思うのです。なぜならBの殺人も説明できるからです。大事なことは説明できるかよりも、どちらが真実かではないでしょうか。野田様のお言葉どおり、どちらの説明が信頼できるかだと思います。

 そこで、信頼度が大事になってきます。私は科学よりも神の方がはるかに信頼できます。
野田様のお考えは、神よりも科学の方が信頼できると言うということでしょうか。創造論は創造主の存在を大前提にしており、進化論は創造主の非存在を前提にします。神はいるのかいないのか。どちらの言い分が信頼できるのでしょうか。どちらがこの世界をうまく説明できるのでしょうか
 近代科学は神がいるという前提の下で説明を行い、キリスト教信仰のない人でもその説明を理解し受け入れてきました。ですから、神がいるという前提は十分信頼できることであり、実績があります。それなのになぜ進化論者はこの前提を捨てるのでしょうか。

 しかも、実際の所、創造論の説明の方が、実験や観察結果に合っているように思えます。少なくても、進化論の説明には無理が多すぎ、創造論に比べれば合理的ではありません。だからこそ、創造論者以外にも、進化論に疑問を持つ人や、聖書によらないID説を受け入れる人が普及してきているのです。


>>創造主がいないという前提で論を進めることのみを正しいとし
>一般に言う科学はそういう思考様式を指していると思います。また、「正しい」というのも、「その方が合理的」という程度の意味だと思います。

 現在の進化論者の考える科学は、そういうことなのでしょう。しかし、その理解は正しいのでしょうか。「正しいのか」とは、道徳的な意味ではありません。「合理的なのか」の意味です。何度も申し上げているように、近代科学は、創造主がいると考える方が合理的であるという前提の下で発達してきました。進化論が出てきた結果、創造主がいると考えなくても説明が可能になったというだけのことです。しかも、進化論は創造論に比べれば合理的な説明ではありません。道徳的な意味ではなく、合理的に考えた結果、神がこの世界を造ったと結論できるのです。


>「真なるもの」=「科学」と個人なのかで思うことは良いと思いますが、他人にまでそれを強要するのは如何かと思います。

私は強要した覚えはないのですが、もしそうお感じになられたのでしたらお許しください。ただ、そこまでおっしゃるのならなぜ、多くの進化論者は創造論者に対して、「創造主がいない」ということを前提にするように強要するのですか。創造主がいると考えていても科学は出来るにもかかわらず、なおかつ事実に反する前提であり、非合理的な考えをなぜ強要するのでしょうか。
 

バックグランド

 投稿者:野田哲  投稿日:2006年 3月15日(水)04時41分17秒
  理学部卒で、現在都内で塾の講師をしております。
こんなところでよろしいでしょうか?>管理人様

最近、プリント作成に追われていて、返事が遅くなってしまっております。
申し訳ないです。

どうも、科学の捉え方が著しく異なっているように思われます。

> 創造論支持でも立派な科学研究が出来ることをお認めになりますね
はい。と言うより、創造論を支持していようが、古事記の伝承を信じていようが、科学とは関係無いと思っています。

村上陽一郎氏の本を読んだことがあるのですが(題名は覚えていません)、その中で重要視されていたのは「世の中は合理的に出来ているという信仰」であったと記憶しています。
(元本を探したのですが、見つかりませんでした。)
ですから、重要なのは「キリストへの信仰」というよりも、「合理性への信仰」であると考えていました。
ですから、ニュートンの運動方程式を理解するのに「神への信仰」は必要ありません。
その正しさを検証するのに、聖書は必要ありません。現実に起こる現象を観測することで確認されます。

> 「真犯人が自首していてもその告白を無視し、別人に対しこの説明でお前は人を殺すことが可能である。よって、お前が犯人である」
この比喩では、可能=犯人は短絡すぎますし、自首したのが真犯人と決め付けているのはどうかと思います。その点を差っ引いて解釈すれば、概ね私の科学のイメージ合います。

> 説明さえ出来れば、真実と違っていてもいいということでしょうか
ここはよく理解できませんでした。科学は「現象の説明」ですので、「説明できる=信頼できる」だと思っていたのですが。
斉藤様のここでいう「真実」とは、どんなものでしょうか?どんなものをイメージしているのでしょうか?

> 創造主がいないという前提で論を進めることのみを正しいとし
一般に言う科学はそういう思考様式を指していると思います。
また、「正しい」というのも、「その方が合理的」という程度の意味だと思います。
それ以上の道徳的な意味での「正しさ」は含んでいないし、含んではいけないと思います。

逆にキリスト教信者で、聖書を信じ理解していないと科学を理解できない、科学研究が出来ないというのもおかしな話だと思います。
山野様に紹介頂いたページの内容も、聖書を理解するには重要なのかもしれませんが、科学を理解する上で、参考になるとは思えません。
「真なるもの」=「科学」と個人なのかで思うことは良いと思いますが、他人にまでそれを強要するのは如何かと思います。
 

そうですね

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2006年 3月14日(火)10時59分12秒
  山野さんの紹介しておられるリンク先の文章をどちら様もお読み下さる様強くお勧めします。
これは最低限、科学者の教養として持っていて欲しいですね。
 

雑誌紹介 追加

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2006年 3月13日(月)11時36分37秒
  ニュートン 2006年3月号7pより

「草」を食べていた恐竜 要約
「牧草や稲の仲間草本類は植物の進化史の中でも最も遅く、新生代になってから出現したとされている。そして草本類が繁茂するようになって、これを食べるほ乳類が進化したとも言われている。つまり中生代の恐竜たちは草を食べることはなかったとされてきた。しかし、糞石の中にある花粉を分析したところ草本類の化石があることを発見した。これによって草本類が恐竜時代に既に出現していたことが明らかになった。」


日経サイエンス2006年3月号p61より

「魚から四肢動物へ 見えてきた上陸前後の変化」
こう書かれていました。
「四肢動物の進化に伴う解剖学的な変化については調べることがまだたくさん残っている。・・・四肢動物のトレードマークとも言うべき頑丈な後肢とその関連部分の起源については、説得力のある仮説がない。・・・ヒレから後肢への変化を説明できるようなシナリオは一つもない。」

 魚から四肢動物に進化したと言われていますが、研究者はどのようにヒレが後肢へ変化したのかを説明できないのです。説明できないにもかかわらず、そのように進化したことは間違いないというのは、科学ではなく信仰ではないのでしょうか。進化論者は、創造論者は何があっても神が創造したという仮説を捨てないから科学ではないと批判しますが、自分達も進化したという仮説は捨てられないのです。お互い様です。間違いないと言える進化の証拠はどれだけあるのでしょうか。「説得力のある仮説がない」という研究者の正直な告白を多くの人は知らずに、進化論は説得力があると信じています。草の出現時期が早まったことは、まさに科学が聖書に近づいた事例です。進化論を調べれば調べるほど、進化論がいかにその根拠が曖昧なものかが見えてきます。聖書の述べる創造論の確からしさが明らかになってきます。だからこそ、今、進化論から創造論なり、IDに乗り換える人が世界中で増えているのです。頭を柔らかくして考えれば、進化論が既に崩壊していることは見えてくると思います。
 

野田様へ

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2006年 3月12日(日)11時06分1秒
  >この記事の時間の前後の判断は、「○億年」という数字を基準に判断しています。

そうでしょうか。私は「糞石の中に比較的進化した草にしか含まれていない小さいシリカがあった」ということからの判断だと思います。恐竜のものとされる糞石の中に、草があるのだから、恐竜絶滅「前」から草原が広がっていたと推測したのではないでしょうか。その場合、特に年代測定は必要ないと思います。

> 海洋生物が一気に大量絶滅するために必要な土砂
この「一気に」というのは、どれくらいのタイムスケールなのでしょうか?

1週間もすると死骸は貝やヒトデ、カニなどにより食べられてなくなってしまいますから、少なくても1週間以内でしょう。実際には数時間かも知れません。巨大な恐竜の場合なら、何mもの土砂が数日のうちに最低堆積しなければならなかったはずです。絶滅というのは、局所的に一部の個体が死ぬ程度では起こりえません。広範囲にわたり無数の個体が死ぬためには、どれだけの土砂が必要になるのでしょうか。一つの山が崩れるだけでは、種の絶滅はしないでしょう。まして、広い海を自由に動ける海洋生物の絶滅とその化石の存在です。地球規模の大洪水以外に合理的な説明はないと思います。


> 真偽判断可能な命題でない気がします。

それなら、前提(仮説)の立て方のみで科学かどうかを論じるべきではないと思います。
誤解のないように言葉を分けて使いますが、長谷川先生のおっしゃるとおりで、どのように創造されたかを考える「創造科学」は神が造ったという反証不能の前提の上に立てられていますが、野田様が指摘されたように例えば「洪水の水はどこから来たのか」を考える際には地下に水がどのくらいあるのか、検証可能な仮説を立てます。おかしければその仮説は否定されます。その点で科学だと思います。実際創造科学の説明はまだ十分ではないでしょう。反論される余地はたくさんあります。しかし、それは進化論も同じで、進化の仕組みについては多くの説が出されていて、確定していません。

> ニュートンの理論は、現象を上手く説明できるか否か、数多くの試験に耐え抜いてきたものです。観測、推論、検証により常に修正されてきた科学理論であると考えます。

そうであるなら、創造論支持でも立派な科学研究が出来ることをお認めになりますね。

> 近代科学と言われるものが、・・・キリスト教文化の西欧でのみなぜ発達したのか。
これは、言葉の順番が逆ではないですか?近代ヨーロッパで発達した科学を近代科学と呼ぶのであって、科学は世界各地で発達してきたものと記憶しています。

私の意見は、実は科学史を教えている村上陽一郎氏の「新しい科学論」(講談社ブルーバックス)から、拝借したものです。村上氏はこう書いています。
「少なくとも彼ら(筆者注:ニュートンやケプラーなど)は、・・・この世界を創造主である神が合理的に作り上げたというキリスト教的偏見を持っていたからこそ、『自然科学的真理』を得ることが出来たと言えるのではないでしょうか。…なぜヨーロッパ文化圏にだけ、近代自然科学が発生したのか、ということが問われていたからです。それならば、近代自然科学の基礎を築いた、と言われる人々がどのような基本的認識の上に立って、彼らの仕事を行っていたか、・・・そこにキリスト教信仰が不可欠の要素として働いていたことを見たばかりです。」


> 神の存在がもし真なら、創造論者の考え方こそ科学であり、真になる
> 創造主がいないのが真なら、進化論こそ正しく、科学であると言えます。
この文章での科学という言葉の使われ方が良く分からないのです。
私の理解では、「真」=「科学」という風に読めるのですが、この理解で正しいでしょうか?

先に書いたように、「私は科学とは、真理を追究するものだと思います」ので、その理解で結構です。神が創造された自然はいわば第二の聖書であって、科学を追究すればするほど、その源であり、真理である神(創造主)と出会うことになると私は考えています。ニュートン達もそうだったと思います。

>「科学=現象を説明するものor利用可能にするもの」と私は考えています。

科学をどう定義するかが違うので、話がねじれる危険があると知りつつ、ご質問します。
そのお考えでは、説明さえ出来れば、真実と違っていてもいいということでしょうか。
「真犯人が自首していてもその告白を無視し、別人に対しこの説明でお前は人を殺すことが可能である。よって、お前が犯人である」とするのが、科学であると言うことでしょうか。
またそれが科学であるとして、それを正しいとすべきだとお考えなのでしょうか。

>私は普段、何となく神様はいると思っています。

そのイメージの神は、宇宙を造られた創造主ではないと理解してもいいでしょうか。
もしそうなら、進化論とキリスト教信仰は両立できるという方々の神のイメージに近いのかも知れません。神はいるが、聖書に書いてあるように創造した神ではないと考えれば、確かに両立できますからね。私の見解では、創造主がいるのが真なので、いないのであれば偽になります。ただ、この真偽は科学で証明できるものではありません。できないにもかかわらず、創造主がいないという前提で論を進めることのみを正しいとし、ましてやこれは証明された事実であるというような主張に対し、私は反対するのです。
 

誤解を避けるために

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2006年 3月12日(日)05時01分21秒
  少し議論が錯綜しているように思われますが、一つだけ誤解のないようにあらかじ
め指摘を致したいと思います。

「創造論」とは聖書が教える世界の始まりの記述であってこれ自体は科学論ではな
いという認識を要請します。その上で「創造科学」というのは、聖書に記述された
創造の記述を観察から演繹的に論じるものです(それは基本的に「進化論」が「科
学」として取っているアプローチと同じです)。創造論は聖書の教えでありこれは
真実です。一方創造科学論はそれから派生してきた科学の一分野に過ぎないのです。
そういう理解をよろしくお願い申し上げます。

ところで、野田さんのバックグラウンドをもう一度教えてください。悪いようには
致しません。参考までにということでお願いします。
 

判断の基準

 投稿者:野田哲  投稿日:2006年 3月12日(日)03時00分34秒
  山野様、お久しぶりです。
ご意見を伺えてうれしいです。

基本となる考え方が違えば、得られる結論が異なることは当然のことと思います。
いわゆる科学と創造論が相容れないのは、「判断の基準を聖書に基づかなければならない」点だと思われます。一般に「科学」と呼ぶ前提と異なっているのにも関わらず、「創造論=科学」としているのが非常に理解しづらいところです。

また、「創造論に反論する人たちは・・・神を演繹的に除外するもの」とは思えません。
そもそも、神に言及しないのが科学だと理解しています。
ただ、「神に言及しない」=「神を除外」と言うのであれば、その通りだと思います。
この場合、キリスト教信者の間でしか共有できない考え方になりますね。


斉藤様
私が「真偽判断」という誤った言葉を使ったため、混乱させてしまい申し訳ありません。

まず気になった点から。

> 私は「○億年」という数字自体を信用していませんし
> 恐竜の前か後ろか
この記事の時間の前後の判断は、「○億年」という数字を基準に判断しています。なのに、数字は信用できないが、前後判断は信用するというのは理屈に合わないように思われるのですが如何でしょうか?

> 海洋生物が一気に大量絶滅するために必要な土砂
この「一気に」というのは、どれくらいのタイムスケールなのでしょうか?
すみません、まだ記事にあった日経サイエンスを買っていないので、単純に分からないんです。もし、分かっていたら教えてください。

> 「反証可能性がないのは科学ではない」という命題自体が真であると証明されているわけではありません
この命題の対偶は「科学は反証可能性がある」でよいでしょうか。
この命題の真偽ですが、真偽判断可能な命題でない気がします。

そもそも、私が科学に対して真偽判断という言葉を使ったのが誤りでした。
申し訳ありません。

> ニュートンさえも「神がこの世界を造った」と考えていましたから、彼の発見した万有引力の法則も、野田様によれば疑似科学と言うことになるのでしょうね。
いえ、そうは考えません。ニュートンの理論は、現象を上手く説明できるか否か、数多くの試験に耐え抜いてきたものです。観測、推論、検証により常に修正されてきた科学理論であると考えます。

> 近代科学と言われるものが、・・・キリスト教文化の西欧でのみなぜ発達したのか。
これは、言葉の順番が逆ではないですか?近代ヨーロッパで発達した科学を近代科学と呼ぶのであって、科学は世界各地で発達してきたものと記憶しています。
ただ、ヨーロッパでの科学の発達のスピードは驚嘆に値すると思います。
これはキリスト教の影響の他に、急速に進歩する技術を理論面から支えるために発達したのではないかと考えます。

> 創造論が科学でないと言う見方は、科学の歴史をゆがめる見方にならないでしょうか
科学史上、創造論はちゃんと取り上げられています。知識の蓄積の無い古代では、もっとも妥当と思われる世界の説明だったとも思います。世界各地の神話に、天地創造に関する記述は見つかっています。
ただ、「創造論は科学でない」と「科学の歴史」とは異なる話と思われます。

> 全能の神について考えるときに、科学は無力です
これは私も同意見です。

> 科学とは、真理を追究するものだと思いますので、
これも同意見です。ただ、何を真理とするかは、別種の難しい問題だと思います。
哲学の世界では、唯一普遍の絶対の真理というのは、廃れて久しい考え方だったと記憶しています。

> 神の存在がもし真なら、創造論者の考え方こそ科学であり、真になる
> 創造主がいないのが真なら、進化論こそ正しく、科学であると言えます。
この文章での科学という言葉の使われ方が良く分からないのです。
私の理解では、「真」=「科学」という風に読めるのですが、この理解で正しいでしょうか?

そもそも、「科学=現象を説明するものor利用可能にするもの」と私は考えています。
ですから、「科学=真偽判断の基準」とは考えていません。
(前回の投稿では、こうとしか読めないものを書いてしました。申し訳ありません)
「科学=価値判断の基準」とも思っていません。
だからこそ、ヨーロッパという一地域から全世界のあらゆる人々が共通のものとして使える道具足りえたと考えています。

最後に、斉藤様から頂いた質問ですが、
> 神(創造主)の存在が真か偽かということです。
私は普段、何となく神様はいると思っています。
ですが、キリスト教の神ではなく、八百万の神のようなものをイメージしています。
この場合、斉藤様でいうところの偽なのでしょうか?
 

野田様へ

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2006年 3月11日(土)23時50分37秒
  >草が誕生したのはおよそ1億年前」と「聖書は3日目に植物が創造されたことを記しています」は、矛盾しているので、「聖書の記事を、この発見は支持するものです」とならない。

 私はこの記事しか読んでいないので、詳しいことはわかりません。しかし、私がこの記事から読みとった要旨は、「草が広がったのは恐竜絶滅前後だと考えられていたが、実際にはもっと早かったと考えられる」ということです。この読みで間違いないなら、恐竜が誕生する前に青草が広がっていたとする聖書の記事と、矛盾しないのではないでしょうか。
 野田様は「1億年前」という年代にこだわっているのかも知れませんが、私は「○億年」という数字自体を信用していませんし、この記事の中心も、恐竜の前か後ろかであって、年数そのものではないと思います。

>「陸上の土壌が大量に浸食された原因としては、酸性雨よりも大洪水がふさわしいのではないでしょうか」とありますが、その場合は大洪水の水はどこから発生したのかを考える必要があります。大量の水がどこからかやって来たとするよりは、酸性雨の方がリーズナルブルな仮説ということではないでしょうか。

 大量の水より、大量の土砂が問題です。化石が出来るためには、大量の土砂が死骸の上に急速に堆積することが必要です。大量の土砂の急速な流入の原因として一般に最も考えられるのは洪水です。海洋生物が一気に大量絶滅するために必要な土砂が、洪水ではなく酸性雨によって海に流入すると考えるほうが無理があるのではないでしょうか。聖書は「大いなる深淵が裂け、天の窓が開いた」(創世記7:11)と書いています。おそらく水は地下からと、空から供給されたのだと思います。創造論者は激変説の立場で考えていますので、斉一説の立場とは違いますし、地球誕生からずっと斉一であったとは証明されていませんから、斉一説にたって考える必要はないと思います。

>創造論を科学だという必要があるのは、なぜでしょうか?仮説の立て方からして科学という手法に則っていない気がします。

これは「科学」の定義の問題だと思います。「創造論は反証可能性がないから科学ではない」とよく言われますが、そもそも「反証可能性がないのは科学ではない」という命題自体が真であると証明されているわけではありません。さらに、創造論は神が造ったということを前提にしているので反証可能性がなく、科学ではないというのなら、大雑把に言ってダーウィン以前には多くの人が創造論者でしたから、科学がなかったことになります。近代科学の父と言われるニュートンさえも「神がこの世界を造った」と考えていましたから、彼の発見した万有引力の法則も、野田様によれば疑似科学と言うことになるのでしょうね。また、近代科学と言われるものが、創造論を否定する地域ではなく、聖書に書かれたとおりだと信じるキリスト教文化の西欧でのみなぜ発達したのか。創造論が科学でないと言う見方は、科学の歴史をゆがめる見方にならないでしょうか。


野田様に考えていただきたいのは、神(創造主)の存在が真か偽かということです。神はいるのかいないのか、どちらかであり、中立はありません。野田様は、どうお考えですか。
 全能の神について考えるときに、科学は無力です。全知の神を考えるときに、有限の知識しかない人間は無力です。そして、私は科学とは、真理を追究するものだと思いますので、宇宙を造られた神の存在がもし真なら、創造論者の考え方こそ科学であり、真になるのではないでしょうか。逆に言えば、創造主がいないのが真なら、進化論こそ正しく、科学であると言えます。問題は、神がいるのかいないのかです。

 そもそも真偽を決めるためには、「真がある」ということが大前提のはずです。もし絶対的な真があるとしたら、それは神であって人間ではないはずです。ですから、人間の考える科学は真偽判断の基準になり得ません。
 

気になったこと

 投稿者:野田哲  投稿日:2006年 3月11日(土)03時12分2秒
  管理人様、お久しぶりです。以前にも何度か投稿させて頂いた野田哲です。


斉藤様
「草が誕生したのはおよそ1億年前」と「聖書は3日目に植物が創造されたことを記しています」は、矛盾しているのではないでしょうか?
なので、「聖書の記事を、この発見は支持するものです」とならないように思われます。

また、「陸上の土壌が大量に浸食された原因としては、酸性雨よりも大洪水がふさわしいのではないでしょうか」とありますが、その場合は大洪水の水はどこから発生したのかを考える必要があります。大量の水がどこからかやって来たとするよりは、酸性雨の方がリーズナルブルな仮説ということではないでしょうか。


後、気になったのですが、創造論を科学だという必要があるのは、なぜでしょうか?
仮説の立て方からして科学という手法に則っていない気がします。
真偽判断を聖書に委ねているのに、それを科学というとまずいのではないでしょうか?
この論法でいくのであれば、聖書を正しいと信じている人でなければ真偽判断ができないことになってしまいます。
 

おわびと訂正

 投稿者:山田 文昭  投稿日:2006年 3月 9日(木)12時27分9秒
  長谷川様
「進化」という言葉に大変に敏感になっている皆様の前で、ふさわしくない使い方をしましてすみませんでした。私は「人間にとっても共生植物にとってもよりよくなること」という意味で使いました。皆様の前では今後「昇華」という用語を使わせていただきます。
配慮足らずでした。できれば水に流して欲しいです。ちなみに昇華はうちの業界の用語ではなく、自分が勝手に使っている用法なのでそこはご理解ください。
斎藤様
おっしゃっている意味の概要程度なら理解できそうです。もうすこし思惟したあと、お返事をさせていただきます。
お二方とも、キリスト教徒でもない私に、丁寧な解説をありがとうございました。
 

昨日図書館で読んだ雑誌記事から

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2006年 3月 6日(月)09時27分41秒
  1 日経サイエンス2006年4月号19ページ
「白亜紀の草原は青かった」要約
 草が地上に広がったのは恐竜が死に絶えた6500万年前後だと考えられていた。しかし、最近スウェーデンのグループが糞石の中に比較的進化した草にしか含まれていない小さいシリカ(ケイ石)結晶を発見した。植物化石が6500〜6700万年前の物であったことから、草が誕生したのはおよそ1億年前だろう。

 聖書は3日目に植物が創造されたことを記しています。恐竜が誕生したときには既に青々とした草原が広がっていたという聖書の記事を、この発見は支持するものです。


2 日経サイエンス2006年4月号15ページ
「頭の良さと脳の大きさ」要約
 頭の良さと脳の大きさはあまり関係がない。

笑えたのはこの文章です。「知能獲得が目的でなかったとすれば、脳が大きくなったのは何のためなのか。おそらく余剰部分は頭を打ったり老いて多くの神経細胞を失った場合のバックアップなのだろう。」これまで進化論は、人類の起源を説明するときに、脳容積の拡大と知能の発達を密接につなげてきたと思います。でも、それが根底から崩れたわけです。脳が大きくなって、知能が発達したとは言えなくなった今、進化論者は「サルからヒトへ」をどう説明するのでしょうか。

3 日経サイエンス2006年2月号50ページ
「原始地球はすぐ冷えた?」要約
初期地球の表面はどろどろに溶けた灼熱の世界だと考えられてきたが、西オーストラリアで見つかったジルコンはこうした見方を一変させた。これらの結晶は、当時の地球に液体の水をたたえた海洋があり、おそらくは大陸も存在していたことを示す明かな化学的痕跡を備えている。

 創造の3日目に神は海と陸を造られました。地球誕生直後に海があったという聖書の記事をこの発見は支持します。

4 ニュートン2006年4月号6ページ
「史上最大の絶滅の原因は?」要約
2億5000年前に起きた大量絶滅は火山活動が原因という見方が強まった。ロンドン大学のセフソン博士らはイタリアの地層を調査した結果、海洋生物の大量死が起きたときに、陸上の有機物が大量に海に流れ込んでいたことを突き止めた。なぜ陸上の土壌が大量に浸食されたのか。博士らは、火山活動により、膨大な量の二酸化炭素が放出され、それによる酸性雨のために陸地が洗われたからだろうと述べている。

陸上の土壌が大量に浸食された原因としては、酸性雨よりも大洪水がふさわしいのではないでしょうか。ノアの洪水があったという聖書の記事をこの発見は支持します。


同じ一つの発見を創造論に則して解釈することも出来ます。進化論の証拠とされるものは、創造論の証拠ともなり得るのです。ですから、私はこういう記事を読むのがすきです。
どんな証拠が見つかったのか、どう解釈すれば創造論に有利になるのか。いろいろな解釈が可能なのですから、進化論には圧倒的な証拠があり、創造論には証拠がないと言うような言い方には賛成できません。
 

どうでもいいことなのですが

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2006年 3月 6日(月)08時38分10秒
  私は「最初の生命は細菌である」と書いたのではありません。「最初の細菌ですか。三葉虫ですか。」と書いています。最初の生命が何であるにしろ、それが人間でないことだけは確かです。私の発言の趣旨はそこにあります。創造論では、3日目に創造された植物が最初の生命であり、鳥と魚は5日目に創造されました。
 最初の生命が細菌なのか何なのか、まだはっきりとわかってはいないというのが私の進化論の理解です。最初の生命の化石が発見されているわけでもありません。(発見されているのは最古の化石であって、最初の生命の化石ではない。)最初の生命は、メタン合成細菌だ、硫黄合成細菌だ、古細菌に似たものだとか説明した記述はいくつもあります。参考例
http://www.geol.sci.hiroshima-u.ac.jp/~geohist/kano/Edusilfolder/firstlife.html

 そんな細菌うんぬんよりも、キリスト教を正しく理解することが必要だと述べているにも
かかわらず、キリスト教ではない某教団を持ち出して創造論を批判するのは、どういうことなのでしょうか。あの教団も聖書に基づくキリスト教であると考えていたのだとしたら、大間違いです。なぜキリスト教ではないのか、説明できますか。輸血拒否の理由が創造論に基づくという見解を私は初めて聞きました。良ければ、詳しく教えてほしいです。

 私は長谷川先生を初め、創造論者の医師やその病院を知っていますが、創造論信仰が医療にとって有害になったといううわさ話すら聞きません。繰り返しますが、誤解と無知に基づく批判はもうやめてください。創造論を批判するなら、まず聖書を正しく読んで理解し、その上で疑問点を御述べ下さい。たとえば、私が、重力進化論を根拠にして進化論を批判するとしたら、あれは「トンデモ」だと言うのではないでしょうか。それと同じことです。

>抗生物質が選択圧となることは常識であり、それは進化論の傍証のひとつ

そうでしょうか。むしろ創造論の傍証になるのではないでしょうか。選択圧がどれだけかかり、どれだけ変異があったとしても、その細菌はその細菌のままだということです。会社の実験では、大腸菌が例えばブドウ球菌に変わり、結核菌、さらにはアカパンカビにでもなったというのでしょうか。
 

それだけ

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2006年 3月 5日(日)19時24分25秒
  皮肉を言われたのが理解できなかったという訳ですか。ははは。  

これだけ

 投稿者:おずおず  投稿日:2006年 3月 5日(日)17時43分43秒
  > あと創造論者が最初の生命は細菌だと言っているというのはどこから聞いた与太話ですか。
について、ですが、
科学と宗教  投稿者:斉藤愛輝  投稿日: 3月 3日(金)10時22分0秒
では、誰が罪を犯したのでしょうか。最初の細菌ですか。
、を受けてのことではないでしょうか?
 

>注意<

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2006年 3月 4日(土)22時32分49秒
編集済
  発言の中に、「某製薬会社」とか「某教団」という表現によって、はからずも自分
の拠って立つ所や主張の論点をすりかえたりすることがありますが、これは議論上
フェアではありません。たとえば下の発言の「某教団」というのは明らかに「もの
みの塔」という擬似聖書宗教団体を指していますが、そういうものを明らかにせず
すべて創造論で一括りにするのは、議論の焦点を不注意にぼかしたり拡散させてし
まいます。ですからどうしてもそうしなければならない理由がない限り団体名、思
想集団名は不要な混乱を避けるために実名を表記願います。創造論者とIDの違いも
わからない進化論者だから大目に見るということはしません。

その上で、改めてはっきり申し上げますと、ものみの塔の輸血拒否の教理は旧約聖
書レビ記の敷衍拡大解釈からのものであって創造論とは全く無関係ですので、その
理解をお願いします。
 

ようこそ

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2006年 3月 4日(土)22時22分9秒
  漢水清様

自己紹介と実名表示はいいですが、会社名の表記もお願いします。ない場合ルール
に従って任意削除される可能性を保留します。

順番に言いますが、新薬開発が進化を自明の事としているといいながら、抗生物質に
対する(細菌の)反応を進化論の傍証だと主張していることに自らの主張の矛盾をお
感じになってください。これを傍証というのはそちらの勝手です。しかし、それは、
進化論という世界観からの現象の一解釈に過ぎないと言う認識を要請します。あと創
造論者が最初の生命は細菌だと言っているというのはどこから聞いた与太話ですか。

私も新薬の臨床治験に参加したり製薬会社に頼まれて講演を行ったりしていますが、
その私が言うのですが、医学に進化論は不要です。薬学には必要ですか(笑)。
 

敵を知り己を知れば

 投稿者:漢水清  投稿日:2006年 3月 4日(土)16時45分6秒
  まずルールに則って自己紹介します。
名前は漢水清。
大阪市中央区に本社がある某製薬会社に勤務しています。

創造論者は最初の生命を細菌だと思っているのでしょうか?
生物学のイロハのイも知らないのに進化論を批判するのは間が抜けていますね。
製薬業では、進化を自明の事として研究を進めています。
たとえば、抗生物質が選択圧となることは常識であり、それは進化論の傍証のひとつと考えられています。
某教団の無輸血治療に象徴されるように、創造論は医療にとって有害になることもあります。
管理人様は、創造論を科学として医療の世界に持ち込むことは、医療全般に対する妨害行為だとは思われていないということでしょうか?

私はキリスト教徒ではありませんが、強いて分類するなら「日本教徒」といえるかもしれません。
神社で祈願をすることはありますし、初めて伺った家にお仏壇があれば宗派に限らず必ず手を合わせることにしています。
宗教と科学を両立している研究者はいくらでもいますし、もちろんキリスト教徒もいます(宗派までは知りません)。
その人は聖書を文字通りに解釈していませんが、それでも信仰を維持しています。
 

ついでに宣伝

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2006年 3月 4日(土)12時09分10秒
編集済
  閑話休題ですが、

当HPの管理人である私は、日本国において下のリンクのような出版も行っておりま
す。医療に貢献する動物実験を不当に妨害して真摯な同業者を迫害する動物愛護協
会をへこませるというのがこの趣旨です。関心のおありの方は一読ご笑覧をお願い
申し上げます(微笑)。

http://www.angelfire.com/dc2/neuronal/dogstory.htm

http://blog.livedoor.jp/mesenchyme/
 

偽証と言えば

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2006年 3月 3日(金)22時08分1秒
  進化論が科学で創造科学は科学でないと言うのも、嘘も方便というか、我田引水の
勝手な妄言ですよね。「進化論」は科学だと言えば嘘になりますが、ある種の人生
観に基づく哲学的自然解釈論だと謙遜に引き下がっておれば角が立たないのですが
ね。自分の言っていることが見えない「科学者」は実は「哲学者」です。

斉藤先生のコメントに賛成します。
 

偽証?

 投稿者:通りすがり  投稿日:2006年 3月 3日(金)18時25分48秒
  創造論の皆さんって嘘ばかり書くのがお得意なようなんですが、
これって偽証の罪にはあたらないんですか?
前から不思議でならんのですが。
 

科学と宗教

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2006年 3月 3日(金)10時22分0秒
  zさんの発言は多くの日本人の考えを代表していると思います。多くの誤解がありますので一言述べさせていただきます。

>宗教関係の書は人間の内面や、或いは神仏の事を比喩的に記述したもので、いわゆる、例え話や逸話の類のもの。実際に起きた事を一言一句正確に記したものではない。

 多くのキリスト教会ではイエスは神であり、イエスの復活は比喩ではなく、事実としています。聖書はたとえ話ではなく、事実を記したものと考えています。パウロはその手紙の名中で、キリストの復活が事実であることを強調しています。キリストの復活が事実でなかったなら、キリスト教の信仰は存在しないのです。また、聖書が歴史書としても第一級の価値を持っていることは歴史学者によって証明されています。こうしたことをご存じでしたか。
 zさんの発言は、こうした事実に目をつぶるだけではなく、事実をゆがめ、聖書の価値をおとしめようとしています。さらにその発言はキリスト教に限らず、イスラム教は仏教など多くの宗教に対しても否定的です。これが、進化論者の本音です。彼らは創造を否定したいのではなく、創造した神を否定し、宗教そのものを否定したいのです。実際、進化論者のドーキンスは、無神論者であり、信仰を否定しています。
 しかし、世界の多くの人々は、何らかの宗教を信じ、宗教を持つことは人間として当然のことだと考えています。ですから、zさんの発言は世界中の人々を敵に回す発言です。そして、悲しいかな、こうした考えの日本人が多いために、日本は信仰を大事にする欧米の国々から本当の意味で信頼されないのです。中国では、国際社会に通用する人物を作るために小学生に聖書を教え始めたそうです。創造論を否定する日本人が多いのは、創造論の知識がなく、単に宗教音痴だからです。ですから、かねがね、私は進化論者にもっと聖書を正しく学んでくださいと申し上げています。日本人が世界に通用するようになるためには、キリスト教を信じないまでも、せめてキリスト教を正しく理解することが不可欠です。

>神が何日で地球を創ったとかの話は、逸話であり、比ゆ的表現であり、どうでも良い事だ。

 私達創造論者がなぜ、7日間での天地創造を正しいとするのかその理由をご存じはないようですね。決してどうでも良いことではないのです。キリスト教の信仰は、まさにこの創造を土台としているからです。イエス・キリストは私達の身代わりとして、私達人間の罪を背負って死んだ。それ故、私達は罰を受ける必要がなくなり、救われるのだと私達は信じています。そして、罪のない世界、天国で永遠に生きることが出来ると信じています。この信仰の土台にあるのは、罪を犯せば死ななければならないと言う決まり事です。進化論によれば、人間が生まれる以前から、死がこの世界にあります。では、誰が罪を犯したのでしょうか。最初の細菌ですか。三葉虫ですか。何であるにせよ、人間が罪を犯したのでないことは確かです。と言うことは、イエス・キリストは私達人間の救い主ではなく、細菌なり、三葉虫を救うために、人間の姿となり、十字架にかかり死んだことになります。しかし、これは明らかに聖書の記述と矛盾します。キリストを救い主と信じる信仰は、創造論でしか説明できないのです。

>大事なのは、人間の生き方をどうすべきかを問うのが宗教の本来の姿と気付く事。

 確かにそうです。だからこそ、人間の生きる目的を語るために、創造論が必要なのです。
進化論では、人生に意味はありません。私が以前某掲示板で人生の目的を尋ねたとき、進化論者は誰一人として、生きる目的を明確に答えられませんでした。年間自殺者が3万人を超える日本は、世界から見て極めて異常な国です。誰一人として、生きる意味を教えることが出来ないというのは、進化論しか教えられていないせいではないのでしょうか。進化論では人を救えません。

>聖書での表現を一言一句、科学を無視して信じ込むのは、本来の信仰とは無関係だし、宗教団体の保身でしかない。

私は聖書の一言一句に間違いがないという立場ではありません。逐語霊感ではなく、思想霊感、つまり、神から思想を聞いた人間の言葉であると考え、細かなミスはあり得ると思います。しかし、創造については、聖書全体の主張がそれを支持していますから、間違っているとはとうてい思えません。もし、聖書と科学が矛盾するなら、聖書を取るのが私の立場です。聖書と科学が矛盾するとき、科学を優先するというのなら、私にはそれは、神よりも科学を信頼する意味で、神を裏切る偶像礼拝だと思います。ですから、科学を無視して信じることも、本来の立派な信仰のあり方なのです。科学が神よりも正しいのでしょうか。zさんは何を根拠に、科学をそんなに信頼できるのですか。
 

面白い問いかけなので

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2006年 3月 2日(木)22時37分55秒
  下の違反発言eaoska107053.adsl.ppp.infoweb.ne.jp(218.226.26.53) をしばらくさらします。
天地創造の神を受け入れない人が宗教の本来の姿とは何かを論じています。
傑作なので、各自記念にとっておいて、何かのイベントの時に読み上げて哂いましょう。
 

(無題)

 投稿者:  投稿日:2006年 3月 2日(木)18時16分14秒
  宗教の数だけ異なる宇宙観があるけど、その矛盾はどう説明するのかな?
「他の宗教が間違っている」という理屈は全ての宗教の言い分だしな。
そのうちの特定の宗教の宇宙観だけが正しいとする根拠も無い。
創造論も含めて。


大体、聖書を含め宗教関係の書は人間の内面や、或いは神仏の事を比喩的に記述したもので、いわゆる、例え話や逸話の類のもの。
実際に起きた事を一言一句正確に記したものではない。
神が何日で地球を創ったとかの話は、逸話であり、比ゆ的表現であり、どうでも良い事だ。

大事なのは、人間の生き方をどうすべきかを問うのが宗教の本来の姿と気付く事。
SFじみた、奇蹟や何のという話に固執し、聖書での表現を一言一句、科学を無視して信じ込むのは、本来の信仰とは無関係だし、宗教団体の保身でしかない。
 

無題

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2006年 3月 2日(木)14時35分22秒
  最近この掲示板に進化論支持の方が色々書き込みをしているようですが、進化論の旗色が悪くなってきたので焦っているのではないでしょうか。これ以上創造論者が増えないようにと躍起になっているようですが、かえって進化論の虚構性を示し、墓穴を掘っているように見えます。この掲示板を見ている創造論者に、あのような主張をしてもいくら無駄だと思います。創造の最大の根拠は聖書なのですから、聖書が間違いであることを主張した方がいいと思います。(できるものなら、ですが。聖書を否定しようとして、かえって聖書を信じるようになった人は大勢います。)進化論が正しいというのなら、私の聖書の読み方のどこが間違っているかを、示してくださらないでしょうか。

 蛇足ながら進化論の証拠とされるものは、次々と崩壊しています。新しい証拠が見つかるたびに進化論は強固になるどころか崩れていっています。創造論なり、IDなりが広がっているのはその表れです。たとえば、年代測定について、放射性同位元素による測定は、絶対的でないことはこの掲示板に書かれてあります。過去の記事8の3月16日をごらんになってください。ヘリウム法とウラン鉛法の年代について、ジルコン中のヘリウム拡散速度が、花コウ緑岩のウラン鉛年代と一致しないことが示されています。「先カンブリア層にあるジルコンのヘリウム放散年代は6000年!」です。炭素14法が示す年代の矛盾もあります。他の放射性同位元素による年代測定法では、100万年前から5億年前のものとなる5つのダイアモンドをしらべたところ、炭素14は存在するはずがないのに、実際にはダイアモンド中に炭素14が存在しました。

 これらが事実であるからと言って、すぐに地球の歴史が6000年と証明されたわけではありません。しかし、年代測定を進化の証拠とするには脆弱であることは示されます。金魚には数多くの種類があり、変異が認められます。だからといって、金魚がさらに変化(進化)すれば、マグロになるような考え方(大進化)が合理的だとは思えません。ショウジョウバエはいくら変異してもショウジョウバエであり、それ以外の何ものにもならなかったというのが、実験結果です。この実験結果からわかることは、種の変異には限界があると言うことであり、創造論の主張と一致します。生命が自然に発生する確率はゼロであると認めながら、それが起きたとするのは信仰以外の何ものでもありません。進化論は合理性を排除し、ただ信仰によって成り立っているにもかかわらず、巧みな弁明で真実を装っているにすぎません。
 

参考になれば

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2006年 2月26日(日)14時57分30秒
  山田様

動物の品種改良(?)に関係する話が聖書にあります。創世記30章です。
ヤコブは叔父ラバンの群れの中から白が普通の羊は、ぶちとまだらのもの、
黒みががかったものを自分のものとします。黒が普通の山羊は、ぶちとまだら
のものを自分のものとします。彼はポプラと、アーモンドとプラタナスの木の
若枝の皮をはぎ、枝に白い木肌の縞を作り、その枝を水飲み場の水槽の中に入れました。

この枝を見て交尾した家畜はぶちの子を産むと当時信じられていました。

もちろん、この方法に科学的根拠はありませんし、これが品種改良と呼べる出来事でないことも承知しています。
私が山田様に申し上げたいことは、ヤコブは人為的な方法で、特定の形質を
持つ家畜を増やそうとし、神様はそれを祝福されてヤコブは豊かになったと言うことです。
この記事からわかることは、神は育種を否定していないと言うことです。長谷川先生がおっしゃるとおりで、育種は罪ではありません。もしそうなら、ヤコブは大きな罪を犯したことになりますが、聖書からはそう読めません。どうか安心して、育種をなさってください。

果樹の育種は「享楽」とおっしゃいますが、神様は人間が楽しむことを望んでいます。
もちろん程度はあるでしょうか、人生を楽しむためにおいしいものを食べる(作る)ことは
決して悪いことではないと思います。ヨハネによる福音書2章にイエス・キリストがカナの
婚礼で水をぶどう酒に変える奇跡を行った記事があります。キリストの最初の奇跡です。
キリストは、結婚式でお祝いをしている人々のために、最高においしいぶどう酒を作られました。育種の働きも同じではないでしょうか。山田様のお働きは、神様が喜ばれるお働きです。自分の名誉のためではなく、多くの人においしいものを食べていただきたいと思って、
育種をなさるのであれば、その働きはキリストと同じ動機であり、正しいものだと私は思います。
 

カビが生えた進化論を再生させる試み

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2006年 2月26日(日)12時32分36秒
  つまらない言葉の言い換えに終始している進化論ブログを見つけました。
一応参考までに。これに対する見解は追々紹介します。

http://transact.seesaa.net/article/13166023.html
 

「進化」に込められた願いとは

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2006年 2月26日(日)11時52分25秒
  山田様

限られた人間の知性であることを承知でお答えします。種が交配して次世代を産み出
すとその発現する形質には遺伝子の組み合わせ上の変化による違いが見られます。そ
の変化を「進化」と呼ぶのは、進化論者の言う進化であるかのように誤解を招きます。
そもそも「進化」というのは長い間に種が交配の繰り返しだけでこれまでにない全く
新たな種を作ったであろうという「科学的」仮定に基づく観念論の用語に過ぎません。
それは一応ご注意願います。

そこで本論ですが、植物が交配で新たな発現をして、それが人間にとって都合の良い
形質であるならば(栄養価が高いとか味が良いとか)、そういう形質を発現させる条
件を作ったり操作することによって、人間に役に立つ作物の「新種」を作るのは神の
前に罪を犯しているのでもなんでもないと思います。人間が地下から石炭や鉄鉱石を
掘り出して人間の役に立つ製品を作るのは正しいことであるというのと同じです。神
はそうなるように世界を創られたという理解でよろしいと思います。
 

真の「進化」に込められた願い

 投稿者:山田 文昭  投稿日:2006年 2月21日(火)21時58分37秒
  長谷川様、
さっそくの私の疑問への取り組み、ありがとうございました。
もうすこし詰めた質問をさせてください。お願いします。

「遺伝子情報の保全、もしくは発展に込められた神の願いとは何か」
かなり大雑把な表現ですが、植物たちは人間がいなくても自分達で子孫を残します(野生化ともいいます)しかし私達は事実、現場で手を下し、進化の方向性を定めます。例えるとベニヤ板の上にパチンコ玉を置いて何もしないで転がるにまかせる、これが野生化で、さらにベニヤを手で持ち上げて私達の方向へ玉を出来るだけ寄せる、これが育種でしょう。理論上はベニヤ上で玉を不動には出来ますが現場ではかならずどこかに転がって行きます。現場では自分が決めた方向に転がして本当に良いのだろうかと悩み苦しむものです。なぜならその一つの品種を育成するために多くの植物の命を犠牲にしなければいけないからです。神がおつくりになった遺伝システムは私達にはとうていわからないものです。わかったフリをしているだけの人はたくさんいます。現場の人間はその偉大さにへりくだらざるおえないのです。
私の疑問はこのシステム(育種)をどのように活用することが神のお考えになった方向なのであろうか、という点です。特に果樹は難問です。ぶっちゃけ、果樹なんて本当の飢餓が来たらイモ畑になるような「享楽」です。神はさらなる人間の享楽を推し進めることを御望みなのでしょうか。天地創造の際、どのような願いをこめてこのシステム(生態系の秩序)をおつくりになったのでしょうか?人間にはとうてい解らない問題でしょうか?長谷川様のように知識が深い方には、そのヒントのようなものが見えている、と思ったのです。お知りになることならば何でも構いません。なにとぞお教えくださいませ。
なぜ、こちらでこのような質問をするのかというと、それは進化論者は時々
「目隠しをして酒を飲んでベニヤ板を触っている」様に私には見えるからです。私にはどう考えてもどちらが正しいのかは理解できそうにないのです。(しかし進化論者が時々「盲目」であることには気づきます)。そこで、どちらの意見が未来の人々に有益で創造主の願いにかなっているか、と少し目線を変えて育種に反映させたいと考えております。
ですから、ささいなことでも良いですから、神の願いについてなにか参考になることがありましたら、お力をお貸しくださいませ。もし私が神の願いを解り、世のために尽くせればそれは「恩寵」に間違いないことでしょう。
掲示板と趣旨が合わないようでしたら、削除願います。
 

お答え

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2006年 2月21日(火)05時38分16秒
  山田文昭様

生物の方向性の目的のお尋ねですか。それはあくまでも有限な人間の側の施す後付
的解説になってしまいます。それを承知で言うならば、減数分裂で生成した新たな
生殖細胞が交配で次世代の個体になることは、遺伝のDNA情報の保全に役に立っ
ているのではないかと思います。それによって個体にとって有害なDNAの突然変
異が後世に伝播することを防いでいると言えましょう。

育種は神の創られた生物遺伝システムを活用している有益な働きです。誰もそれを
創造主への冒涜であるとは考えません。
 

方向性

 投稿者:山田 文昭  投稿日:2006年 2月16日(木)17時30分45秒
  長谷川様、
果樹の育種を勉強しています。意見をぜひ聞かせていただきたかったので、さっそくメールしました。もし質問内容に不快な点があればお許しください。
いきもののほとんどは、そのカラダにオスとメスをつくり決して同じものを後代に残さないようにしています。そこにはどのような願いが込められているのでしょうか?もしくは、願いはあるのでしょうか、」とご質問すべきでしょうか。
 育種という事業は神が創りお隠しになったシステムをもてあそぶ罪なのでしょうか。人が安定的食糧供給のためにどうしても避けられない道だと思うのです。育種は創造主への冒涜でしょうか。
もし、この問題によきアドバイスがあれば参考にさせていただきたいのです。
よろしくお願いいたします。
 

羽毛の次はトサカ、最後にはニワトリに

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2006年 2月 9日(木)12時52分10秒
  とさか付きティラノサウルス、新種化石を中国で発見
2006年02月09日03時00分
中国・新疆ウイグル自治区のジュラ紀後期(約1億5000万年前)の地層から、
ティラノサウルス類の新種の化石が見つかった。冠のようなとさか状の突起があ
り、5色の地層がある場所で見つかったことから中国語で「五色の冠竜」を意味
するコワンロン・ウーカイと名付けられた。中国と米国などの研究チームが、9
日付の英科学誌ネイチャーに発表する。

見つかった化石は大小2体。いずれもほぼ全身の骨格がそろっており、歯や頭骨、
骨盤などの特徴からティラノサウルス類の新種と分かった。同類はほとんどがジ
ュラ紀より後の白亜紀の地層から見つかっており、コワンロンは最古のティラノ
サウルス類とみられている。

寒い時期に成長が鈍ってできる骨の「年輪」から、全長3メートルの大きい方は
7歳までに成長を終え12歳で死んでいた。小さい方は6歳で死んでいた。
「とさか」は頭から鼻の上にかけてあって、大きい方では長さ約30センチ、高
さ約10センチ。厚さは約1.5ミリとごく薄かった。クジャクの尾羽のように、
異性にアピールするための装飾だったのではないかと、研究チームはみている。
近縁種には羽毛があったと考えられており、コワンロンの体も羽毛で覆われてい
たとみられる。

国立科学博物館の真鍋真・主任研究官は「ティラノサウルス類のルーツに迫る貴
重な発見だ。東アジアはティラノサウルス類の初期進化の重要な舞台だったのだ
ろう」といっている。


ティラノザウルスに羽毛があったというのは既にモンタナのBozemanにあるモンタ
ナ大学理学部の調査で発見されていたことであって、真新しいことではありません。
問題は進化論者はティラノザウルスがスキンヘッドの巨大な爬虫類だったというイ
メージにこだわって、羽毛の発見を直ちに「ティラノザウルス」の本来の属性に結
び付けなかったことです。それが今度は、羽毛どころか、トサカまで発見されて、
これはハゲゴジラではなくて、巨大なニワトリのような鳥だったのではないかとい
う疑いを抱かせるものです。化石として発見される木とか昆虫は今日の種よりも巨
大ですが、それはノアの洪水前の自然環境が現在のそれよりも温暖で滋養に満ちて
いたからではないかといわれています(人間も聖書によると900歳に達するほどの
寿命がありました)。ですから鳥もワニなどの爬虫類も現在よりも大きく育ってい
たものと考えられます。このように進化論者の作った恐竜のイメージは必ずしも科
学的ではなくファンタジーの類に属するものです。
 

長坂様へ

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2006年 2月 1日(水)23時13分17秒
  その某サイトなら、確か4年ほど前までは私も一人で戦いましたよ。今でもログが残っているはずです。あそこで創造論は正しい、進化論をおかしいと主張し続けていると、人格まで攻撃されるし、これだけ言ってもわかってもらえないなら、出て行けみたいな感じで最後はサイトから追い出されるような形で終わりを告げました。

 自分の経験から言うと、あそこで戦うのを私は勧めません。何かとお前は無知だ、もっと勉強しろとののしられ、傷つくことでしょう。個人情報を暴露されるかもしれませんよ。進化論を否定する科学者が存在することすら彼らは認めず、そう言う人はまともな科学者ではない、トンデモ学者だと断言します。はっきり言って彼らは聞く耳を持っていません。長坂さんが、聖書によらず、科学的証拠にだけ基づいた創造論というのを展開して、彼らとやり合うのは無理だろうと思います。それは創造論側に証拠が少なく勝ち目がないという意味ではありません。化石は洪水によって短期間でできることや、小進化は観察されても大進化はひとつとして観察されていないこと、始祖鳥で明らかになったように中間型化石のないことなど科学的証拠はむしろ創造論に有利だと私は思っています。人体が精巧に出来ていることを示すデータは数多くあるので、自然に出来たと考えるより、設計者がいたと考える方がはるかに合理的だと思えます。しかし、たとえ長坂さんがどんな証拠をあげたところで、彼らは絶対に意見を変えないでしょう。彼らは証拠があったら進化論を捨てると口では言いますが、その本心は違います。彼らは進化論を捨てることは、創造主なる神を認めることになるので、「科学」という名の下にどんなに真実からかけ離れ、馬鹿げていたとしても進化論を捨てることができないのです。彼らには、創造という真実を受け入れようとする勇気がありません。

 私は、もうあそこに行く気はありませんので、大変だとは思いますが長坂様にはぜひ一人で頑張ってほしいと思います。ただ一つアドバイスするとしたら、徹底的に最初の生命の発生の部分をつく戦術はどうでしょうか。たぶん、それは進化論の分野ではないと逃げることでしょう。でも、それは一番自信がない部分だからです。進化論が何一つ確実な証拠がなく、いかに想像に満ちた理論であるかが白日の下にさらされるのを恐れています。生命の自然発生は、どの本を見ても確率ゼロで、奇跡的だと説明されています。確率ゼロを信じるのが、彼らの言うところの「科学」なのです。私は、聖書の神様を信じるので、何もないところからでも生命を神が造り出す確率は100%だと合理的に信じることができます。歴史も示すように、進化論者と科学論争をやり合ってきた創造論者の多くは、聖書に基づく創造論者です。もし、長坂さんが、進化論者と戦い続ける気なら、創造主を信じることが一番の武器になると思います。実際に、私は彼らと3年くらいやりとりしましたが、進化論者は誰一人私を説得できませんでした。それは、私の確信の根拠である聖書の理解の間違いを誰も指摘できなかったからです。神に勝てる人間はいませんからね。
 

すいません!

 投稿者:長坂明人  投稿日:2006年 2月 1日(水)20時54分11秒
  忘れてました!
私は長坂明人です。高校一年生です。宮城に住んでます。
創造論者です。
 

こんにちは

 投稿者:長坂  投稿日:2006年 2月 1日(水)20時50分17秒
  私は某サイトで、進化論者とひとりで戦っている科学的創造論者の長坂と言います。
そのサイトで、様々な進化論の疑問を呈したら、「無知で教養がない」とか、「専門家でもないくせに進化論を疑問に思うなんて甘い。専門知識を学んだら来てください。」など、なんつーか、訳がわかりません。なぜ進化論者達はミッシングリンク等の問題を解決していないのに、「されはこれからの進化論の課題」とか、はたまた「そんなのはもう結論がでている。それを知らないとは余程の無知な人」なんて言えるんですかね。あんなに馬鹿らしい進化論を。
誰か一緒にそのサイトで戦いませんか?私一人に対し相手が何十人もいるんです。誰か一緒に進化論を崩して行きませんかぁ!
返事待ってます!
とにかく進化論は荒唐無稽ですから。
 

補足  進化論vsID

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2005年12月26日(月)15時54分3秒
   まず誤解している人がいるようですが、IDは創造論と同じではありません。創造主である神の存在をIDのように科学的証拠によらず、聖書により、信仰によって認めるのが創造論です。「反進化論」と言う点では両者は共通するでしょうが、信仰面では違ってきます。
 アメリカのニュースは「進化論が正しい」と裁判所が認めたわけではないということです。宗教だから教えるべきではないと言うことに過ぎません。このニュースが、なぜ進化論に有利な結果であると誤解するのでしょうか。長谷川先生の言うとおり、このニュースはIDにとっては敗北かも知れませんが、創造論者にとっては敗北ではありません。


公立学校でのID教育は認められないと言う判決は当然のことです。
私はキリスト教系の高校で4年前まで、生物を教え、創造論も教えていましたが、
進化論も教えていました。これは私立だから許されることであって、
公立ならそうはいきません。私は公立校で創造論やIDを真理として教えるのは
間違っていると思います。創造論を受け入れるには、信仰が無くてはできません。
しかし、IDが指摘するように進化論には穴が多いので、進化論を受け入れるには、
創造論者以上の信仰が無くてはできません。その意味では進化論も一つの宗教ですから、進化論を正しいと公立で教えるのも間違っていると思います。

 これは私個人の意見ではなく、私の属する教会の見解でもあります。
「公立の学校が、たとえインテリジェント・デザインであれ、創造を『真理』として
教えることは誤り。同じように、進化論を真理として教えることも誤り。公立校はむしろ、起源の証拠に論じ、複数の理論があることを説明すべきである。」(「アドベンチスト・ライフ」2005年12月号)
 

早速敗北(笑) / 進化論vsID

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2005年12月24日(土)00時16分26秒
  下の記事は進化論擁護側の早々の敗北を意味しています。下の記事の中の弁護士
の発言にもありますように、これは科学の場で論争して決着をつけるべき問題で
あって、リベラルな法曹に訴えて解決するべき問題ではありません。科学的に訴
える能力が無いので、政治と司法に訴えるという反則技を使って勝った積りにな
っても実質負けです。ID教育は違憲だといって騒いだ保護者と言うのも何でも
裁判に訴えれば解決すると考える傾向のアメリカではよくありそうな頭の悪そう
な人たちです。アホな裁判を起こして科学的な議論で解決する能力がないと言う
事を自分から表したのが傑作です。IDすら科学の土俵で解決できないなら、ま
して創造科学を否定することなどできますまい。

まあ、違反発言には違いないですがせっかくの有り難い情報提供ですので感謝し
て削除せず残しておきましょう。

http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/america/news/20051221dde007030080000c.html

一応念のため付け加えておきますが、当創造科学HPはIDに反対はしませんが
支援をしているわけではありません。あくまでも、IDは進化論者の中で、これ
までの偶然任せの発生説では自然や生物の精緻は説明できないと反省を始めた非
創造科学の人々の考えであると認識しており、こちらはそういう謙遜な反省の萌
芽を暖かく見守るというスタンスです。
 

たぶん削除対象でしょうが

 投稿者:情報提供です  投稿日:2005年12月23日(金)13時05分37秒
  アメリカの司法のIDに対しての判断です。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/america/news/20051221dde007030080000c.html
 

アンコールワットのステゴザウルス

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2005年12月18日(日)14時10分52秒
  千年ほど前に建設されたと見られるカンボジアのアンコールワット寺院遺跡の壁
に装飾で彫られたステゴザウルスを紹介します。これは全く化石の形態と同じで
す。ということはステゴザウルスは千年位前まではカンボジアにもいたというこ
とを意味します。

http://3.dtiblog.com/c/cognitivedamage/file/DSCN1658.jpg
 

本の紹介

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2005年12月16日(金)11時40分1秒
  インテリジェント・デザイン(ID)について学びたい人は、そのものずばり、

Intelligent  Design
William A. Dembski
1999, Interversity Press, Illionis
ISBN0-8308-1581-3

この本を読めばよいでしょう。アマゾンでも買える筈です。もう進化論者でID
を知らないなんていうのは話にならない時代になりました。反創造科学で論陣を
張っている九州大学の某ナトロムさんも、自分のHPでどうコメントしていいか
わからなくて狼狽している事でしょう。
 

「反進化論」台頭

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2005年12月15日(木)09時21分14秒
  12月14日朝日新聞国際面に大きくID説の記事が出ていました。

「生命誕生の陰には設計者がいる」
「反進化論」台頭 米市民に亀裂  「創造説」へ根強い支持  といった見出し
並びます。記事の論調はもちろん、進化論支持ですが、一つだけ役に立ったのは、
「イタリアや英国でもID(知的計画)は広がりを見せている」といった学芸員ナイルズ・エルドリッジの言葉です。アメリカ以外でも進化論は否定されてきているのです。創造論は進化論者の意に反して廃れるどころか、ますます広がりを見せているのです。なぜなのでしょうか。進化論支持者にはぜひ考えていただきたいところです。

創造論の正しさが世界に広がっていると言うことは、聖書の預言のとおりではないでしょうか。
世の終わりが近づいている証拠だと思うのです。
「神を畏れ、その栄光をたたえなさい。神の裁きのときが来たからである。天と地、海と水の源を創造された方を礼拝しなさい。」(ヨハネの黙示録14:7)
 

神経伝達物質受容体の話

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2005年12月 6日(火)22時26分44秒
  一つのニューロンから隣のニューロンへシナプスを介して情報を伝達する伝達物
質の受容体はニューロンの細胞膜の膜たんぱく質ですが、そういうもののなかの
一つにグルタミン酸受容体というのがあります。要するに神経を興奮させるイオ
ンの流入を制御するたんぱく質です。これにはNMDA型とAMPA型というの
がありますが、前者は反応が遅くかつ継続的ですが、後者は速答性で細かな興奮
伝達の制御を行います。この後者のAMPAタイプのグルタミン酸リセプターは
人間やサル、イヌ、鳥どころか、爬虫類、魚類などと比較しても殆ど分子的バリ
エーションがありません。分子配列も他のリセプターたんぱく質分子と比べて大
きくは種によって違わないのです。そこで、神経生理学関係のある論文の著者は
「AMPAタイプのグルタミン酸受容体は進化に対して抵抗性を持っていた」と
書いています。もちろんそれは進化が起こってきたのが当然と信じている人の解
釈に過ぎません。

我々創造科学者は、これを神が創られた生き物がパーツを一部共有しているもの
と解釈します。どちらの解釈が科学的であるかは、論理上は基本的に同等です。

しかし神の創造を前提としている方が非科学的だという主張を始めると話は違い
ます。聖書の教える世界観とそうでない世界観の対立があることを前提を持ち込
んでこそ進化論者は創造科学を非科学的と主張することが出来ます。換言すれば
進化論者は創造科学を否定するために自ら知ってか知らずか神学論争を持ち込ん
でいるのです。神がすべての生き物を創られたという聖書の証を世界観としてい
る我々は観察事象の解釈に当たってそういう愚かな神学論争を行う必要がありま
せん。ただそこにあるものを観察しその存在の意義に思いを馳せて洞察を深めて
ゆくのです。
 

安藤和子さんの話

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2005年12月 6日(火)10時26分31秒
  東京大学大学院、カリフォルニア大学バークレー校、メレル・ダウ研究所で長年研究に
携わった安藤和子さん(現京都インターナショナル。ユニバーシティー生物学部長)の談話が雑誌「恵みの雨 10月号」(新生宣教団発行)に出ていました。安藤さんは今は進化論を捨て創造論の立場で学生に教えておられます。一部紹介します。


「基本的に一番大事なのは、聖書が言っていることをすべて科学の言葉で理解する必要はない、と言うことです。科学が上なのではない、聖書が科学の上にあるのです。」
「言ってみれば、進化論も信仰、創造論も信仰です。進化論では説明できないことがいっぱいあり、証拠は全く挙がっていないし矛盾だらけです。一方、創造された、と考えたときに矛盾無く理解できることがいっぱいあります。・・・面白いことに、進化論はどういう訳か、その否定された自然発生説を土台として受け入れているのです。」

 全く同感です。進化論者は躍起になって否定しますが、実のところ進化論は既に崩壊しています。自然発生説だけではなく、種を超えた進化(変化)、化石のできる時間などの実験データは進化論よりも創造論に有利だからです。しかし、「神の創造」ということは絶対に受け入れたくなく、かつ「進化は事実」と信じ切っているので、考えを変更できないのです。ある意味、進化論者はマインドコントロールされているのではないかと思います。


安藤さんはこうも言っておられます。
「生命の最も重要な命題、生命がどこから来たのかという創造と進化の問題については、出てくるデータが次々と『進化仮説』を否定しても、『進化したはず』と信じ切っているので、実験結果を直視できないのです。人間の頭脳の許容範囲を超える非常に難解な生命の起源という極限と、想像を絶する長い時間というもう一つの極限とを組み合わせ、思考を拒否できる『偶然』と言うおいしい味付けをし、『科学』と言う仮装をした進化論が生まれ、膨らんできたのです。」

創造論に対する偏見を捨て、公平に見ることができれば、進化論の間違いに気がつくのではないでしょうか。進化論は疑似科学なのです。
 

進化論は曖昧科学

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2005年12月 4日(日)22時51分58秒
  結局、始祖鳥の存在を前提にして、爬虫類から鳥類への進化発展が自明の事実の
ように論じてきたのが進化論だったのです。事実が確認できない事に便乗してそ
の上に次々とドグマのような理論を重ねて言った所に宗教神学との共通性が指摘
されますが、その一つ一つの重ね合わせの説明のキーとなる「事実」が同様な厳
しいスクリーニングにかけられて棄却されると、全体が揺らいで破綻してゆきま
す。ですから進化論が疑似科学であると言われるのです。狂信的な進化論者の皆
さんがもしここを読んでおられるのなら眞にお気の毒ですが、これでまた一つ創
造科学を批判する資格を失ったものと悟って戴きたいですね。創造科学を支援す
る我々としてはまた一つ神の創造を考える糧になったと謙遜に調査結果を受容し
ていきたいと思います。

始祖鳥については、これはあくまでも人間が冠した名前であって、本当に鳥の先
祖であったのかどうか観察追跡調査したわけではありません。あとでDNAの相
似性を論じても違うものは違うのであり、今生きているニワトリとトカゲのDN
Aなどと比較してどちらにより近いかを論じた所で、神がそのように創られたも
のを観察するに過ぎませんから、進化した証拠にはなりはしないのです。そうい
えば、例のモンタナの巨大肉食恐竜とされているチラノザウルスにも羽毛が生え
ていた痕跡が確認されているそうですが、だからといってチラノザウルスは「始
祖鳥」の一種だったのではないかという事を主張する進化論者はまだ聞いた事が
ありません。進化論者にとって最大の悪夢はこのチラノザウルスが歯の生えた鳥
ではなかったのかと主張し始めるご同輩が現れる事でしょう。(爆笑)
 

進化論の証拠のウソ見つかる

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2005年12月 2日(金)09時17分28秒
  始祖鳥は鳥ではなく、恐竜だったという記事が出ました。

http://www.asahi.com/national/update/1201/TKY200512010442.html

進化の証拠として、中間型化石の存在があげられ、その代表が始祖鳥でした。
教科書や参考書は始祖鳥をこれまでそのように扱ってきたのですが、
これからはそれが誤りとして記載が無くなるのでしょうか。
始祖鳥が恐竜になったところで、進化論が廃れるわけではないでしょうが、
これではっきりしたことは、進化論の証拠のもろさです。進化を証明する絶対の証拠がないと言うことです。始祖鳥は中間型化石として信じ、それゆえに進化は事実として教えてきた科学者はどう責任を取るのでしょうか。進化論の証拠のウソは次々と明らかになってきています。


大切なことは、科学とは神抜きに考えることだという変なルールを捨て、何が真実かを見ることではないでしょうか。ダーウィンが登場するほんの150年ほど前までは、科学者は皆、創造主を前提に考えることが科学に反するとは考えていませんでした。神がいることが真実なら、神の存在を前提に考えることこそ、最も真実に近づくはずです。
時代は今、創造論に向かっています。
 

知的計画支持者が増加中

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2005年11月18日(金)23時15分7秒
   進化論が偽りであることに気づいた人がまた一人増えました。少し古い話ですが、
「インテリジェントデザイン(ID)」論について渡辺久義・京大名誉教授が産経新聞て興味深いことを言っています。

http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/etc/050926etc.html

 一部をご紹介すると
「宇宙に目的も方向もあり得ないとする唯物論、機械論が正しいなら、ダーウィンの進化論以外に全く考えようがなくなります。「どこが間違っているのだ」と食い下がるダーウィニストにとって、理論と証拠の不一致は関係がなく、初めの前提で答えが出ているのです。「科学的」「非科学的」を口論する前に、自分の立っている足場を確認する訓練をしなければなりません。IDが正しいかどうかより、思考訓練のきっかけを与えてくれるという意味で重要なのです。教科書に書くなら「ダーウィンの進化論に沿って考えるならば」と、仮説の紹介にとどめるべきです。

 ――しかし進化論は「公認の学説」になっています

 進化論には疑いようのない化石による証拠とか実験での証明は何もないのです。「公認の学説」とは異説を唱える学者は認めないということでしょう。それだけでも鉄槌(てっつい)を下す意味があるではないですか。

 ――では、生命体はどうやって生まれたと考えますか?

 それは分からないとID派の学者たちは答えています。ダーウィニストは、分からないことでも分かっているように言うのが科学的だと考えています。「分からない」「神秘だ」と正直に言う方が知的に誠実ではないでしょうか。」

 まさにそのとおりという感じです。生命の発生は確率ゼロであることが明らかになっています。あり得ない話だとわかっているのに、それでもがんこに生命はこのようにして発生したと強弁するのは、まさに不誠実です。このことを指摘すると、進化論支持者は生命の発生については進化論ではないと逃げるところが姑息です。

 渡辺氏の意見に反対する人は、進化論は科学的で、創造論は非科学的だというこれまでに主張を繰り返しますが、要するに彼らが言う科学とは「デザイナーである神を抜きに考えれば」という前提付きのものにすぎません。
 しかし、ダーウィン以前は、神を入れて考えることは科学者にとって普通のことでした。実際、ニュートンやコペルニクスといった歴史に名を残す偉大な科学者が神を信じ、神がこの世界を造ったという前提で自然界を研究していたことはよく知られています。
進化論者の述べる科学の定義に従えば、ダーウィン以前の科学者はみんな偽科学者と言うことになるでしょう。しかし、皮肉なことに、今の科学は、その偽科学者達の研究を土台としています。(コペルニクスを否定する天文学とか、ニュートンを否定する物理学とかが科学的に正しいと言えるのでしょうか。)

 科学は神の存在を肯定も否定もできないのですから、神を前提にして考えることを非科学的だと言うことはできません。「神はいない」という科学的証拠は何もないのですから、神を前提に考えても良いはずです。そして、その方がより合理的に説明できるなら、それが真実ではないでしょうか。大事なことは、科学的かどうかではなく、真実かどうかです。進化論者は「科学」という言葉の定義にこだわって、真実から目を離しているように思えます。勇気を持って、神(知的存在、デザイナー)を前提にして考えてみてほしいものです。
 

知的計画のコンセプトを歓迎

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2005年11月12日(土)23時15分17秒
  生命誕生は進化か知的計画か 米教委で判断「1勝1敗」
2005年11月10日22時10分

 生命の誕生には何らかの知的計画が関与したとする「Intelligent
 Design(知的計画=ID)」を授業で教えようとする動きが出ている米
 国で8日、二つの相反する判断が出された。カンザス州では、生物の授業で知
 的計画を教えられるようにするカリキュラム改訂案を教育委員会が承認した。
 一方ペンシルベニア州ドーバー地区では、学校区委員の選挙で、全9委員のう
 ち改選された8委員すべてをID反対派が獲得した。

 米国では、進化論支持者と、旧約聖書で神が天地をつくったとする天地創造説
 支持者の対立が続いてきた。世論調査によると過半数が創造説を信じているが
 憲法の政教分離原則のため、公立学校で「生命は神がつくった」とは教えられ
 ない。

 ID推進派は、生命誕生のなぞに進化論は答えられず、生物が誕生して固有の
 形をもつようになった背景に何らかの知的計画があると主張する。進化論支持
 派はIDについて天地創造説の「神」を「知的計画」に置き換えただけだと主
 張する。

 現地からの報道によると、カンザス州教委は、「生命誕生をめぐる科学的な論
 争」を教えるとするカリキュラム改訂案を6対4で可決。直接言及していない
 が、授業で進化論だけでなくIDにも触れることを示す。

 ドーバーでは昨年、生物の授業で「進化論には『穴』があり、IDは穴を埋め
 る理論の一つだ」とする文書を教師が読み上げることを学校区委員が決めた。
 これが政教分離原則に反するとして法廷論争が続いており、委員選挙でID推
 進派と反対派がぶつかった。


IDというのは、創造科学の側から出された命題ではなく、進化論の側から出さ
れたものです。進化論者の中にも知的計画の存在を受け入れざるを得なくなった
人たちがいると言う事を反映しています。IDがあってもなくても、創造科学に
対する影響は基本的には大きくありませんが、これを機会に進化論側からの転向
者が発生する事を期待しています。
 

付記

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2005年10月27日(木)21時00分7秒
  あと付言しますと、進化論を打破するために対抗する科学知識を披露するという
のは、必ずしも的を得ていません。なぜなら、進化論自体が科学としては依拠す
る根拠に乏しいものがあり、その意味においては進化論の科学性は創造科学の科
学性に劣るとも勝らないと考えられるからです。我々は神が此の世界を6日間で
創造されたという聖書の記述を事実とみなした上で、それを検証する事ができる
ものとして、創造科学を成長させてゆきたいと考えています。ですから、聖書の
記述を信じない進化論とはアプローチの仕方が異なっているのです。ですから、
科学としてどちらが勝っているかを論じるには、どちらの方法が正しいかを論じ
る事になり、それでは神学論争になってしまいます。ここではそういう神学論争
は極力避けて、基本的な自然科学の観察者として現象を論理的に解釈する方向に
徹してゆく所存です。
 

鈴木様、自己紹介をお願いいたします

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2005年10月27日(木)20時46分20秒
  ルールに従って上記のような自己紹介をお願いいたします。無い場合は違反発言
とみなされますのでよろしくご協力願います。科学的な根拠と言う意味を人間が
論理でわかるようにという意味でお使いになっていらっしゃいますか。あらかじ
め集中的な議論を行う前に申し上げますと、聖書は人間に対してすべて論理的な
事を教えているように装っておりません。創造の記述は単なる出来事のドキュメ
ントに過ぎず、そこにどのようにして神が行ったのかというprocedureを述べてい
るものではありません。従って、ご質問に対するご期待の答えはありません。そ
れを探求するのが創造科学であるという理解を要請します。生物が何も無い所か
ら瞬時に生まれるはずが無いと言うのは人間の側の限られた知性に基づく推論に
過ぎず、そういうものは科学の範疇には入りません。その点はあらかじめ貴方の
自己紹介がある前にはっきり確認いたします。
 

人類をはじめとする生命体はどのように創造されたのか

 投稿者:鈴木 悟  投稿日:2005年10月27日(木)15時15分55秒
  人類始祖アダムをはじめ、現在生息する全ての生命体はどのようにして出現したのですか?この疑問についての明確な解答を頂けないでしょうか?明確な解答とは、科学的な根拠に基づく解答のことです。この被造世界は神様が創造されたものであり、科学もまたその例外ではないことはご理解いただけると思います。であるならば、いま存在する全ての生物は、何もないところから瞬時にして生まれるはずがなく、何らかの科学的根拠に基づいた原因があればこそ結果として与えられたものであると考えた方が自然だと思います。また、人類創造が前提としておられたならば、なおさら神様ご自身があらかじめ定めておられた被造世界の原理原則を無視して現代の科学では理解しがたい非現実的な方法で人間をお創りになったとは到底考えられません。具体的に科学的根拠に基づいた理論は必ず存在すると思います。創造論においても、創造の御業がどのようにしてなされたのかを除いては、進化論を打破するだけの明確な科学的根拠があげられています。このすばらしい考え方の究極的な結論(どのようにして生命体が誕生したのか)の明確な根拠が曖昧にされていることはとても残念です。科学的根拠に基づいた明確な解答を頂けたらと心から願います。どうぞよろしくお願いします。  

遅レスですが、通りすがったので

 投稿者:  投稿日:2005年10月11日(火)11時38分14秒
  >聖書では最初の人間がアダムであるならそれの科学的根拠を示すべき

人間の共通の祖先がひとりの男性を持つかは自然科学の範疇だと思いますが、
その男が実際にアダムなのかを自然科学的にどうこうするのは無理です。
はっきり言えば、その手の問題は歴史学や考古学の範疇なんで。

特にこの時代は文字や史跡がないんで、口頭伝承やそれを記した書物に
頼らざるを得ないです(聖書の記事を歴史学として認めない、
という人もいるでしょうがそれは別の話)。

もちろん、学者が何にインスピレーション受けて理論構築するかは自由
(元ネタが論理実証的に反証されている場合は別)。
そうじゃなきゃ、創造科学に限らず、時間循環説(東洋、ギリシア思想)などを
まともに研究する人はいないでしょう(個人的には多元宇宙論もこの範疇)。

まあ、日本の場合、歴史学と自然科学を混ぜて扱うことを
(たとえそれが真実だろうが)嫌う人は多いかなあ、とは思います。
ただ、世界の起源、人類の起源を純粋に知りたい、という場合は、
歴史学と自然科学を統合するのも(理論展開時に混合しなければ)ありかと。
(このサイトはその辺をそれなりに分けてると思いますけどね)
 

井関様へ

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2005年10月 8日(土)23時14分14秒
  遅くなって申し訳ございません。


 >同じようにティラノサウルスも弱って群れから孤立した獲物を少しずつ弱らせてから数頭がかりでしとめたと考えられると思います。

 ティラノサウルスがハイエナのようなスタミナ勝負の狩りをするのであれば、ハイエナは小型なのですから、ティラノサウルスが巨大化する必要は無かったのではないでしょうか。強大化するよりも、敏捷性をより進化させた方が都合がいいのではありませんか。進化論が正しいと証明されているのなら、もっと明確な説明ができるはずではないでしょうか。



>この時に相手を驚かせて横取りするには体が大きい方が有利であると考えられます。例えばライオンとチーターならチーターの方が狩りが得意で有るにも関わらずチーターはライオンに獲物を横取りされる事があります。これと似たような事が中生代の世界でも起こっていたのではないでしょうか。

その考えは少し変だと思います。ライオンはチーターから獲物を横取りするために、体が大きくなったのでしょうか。チーターは関係ないでしょう。ライオンは自力で獲物を捕れます。この説明には納得できません。


 新約聖書はギリシャ語で書かれているので、ギリシャ語を学べば聖書をより深く理解することができます。それと同じように、創造科学を学ぶことによって、聖書を科学の面から深く理解することができます。創造科学は、聖書の正しさを証明するのが目的ではありません。聖書の正しさを知るには、まず聖書を読まなくてはなりません。井関様には、ぜひ聖書を読んで頂きたいと思います。
 

井関さんの発言許可を停止します

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2005年 9月24日(土)09時40分53秒
  電話番号をこちらに通知して小学生の本人であることを確認させて頂くまで発言停止
措置を行います。
 

斉藤先生の説明に追加します

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2005年 9月19日(月)06時42分1秒
  斉藤先生のご説明の通りですが、一応、基本的な認識を学んでもらうために
説明を数行追加します。

>創造科学が科学で有る以上聖書の教えが科学的に正しい理由を説明すべき
>ではないでしょうか。聖書では最初の人間がアダムであるならそれの科学
>的根拠を示すべきだと思います。


科学の初学者の陥る典型的誤りです。なぜ誤りであるのかを説明します。創造科
学は最初の人間がアダムであることを前提としていますのでそれを証明する必要
がありません。それは進化論が生物種の進化による発生を前提として証明してい
ないのと同様です。進化論の場合は、そういう仮定をした上でそれが実際の観察
と矛盾しないと主張することによって科学であるとしていますが、同様に創造科
学もアダムが最初の人間であるという聖書に記述されたテーマを前提にして自然
現象の観察が矛盾していないことを主張することによって、進化論と同等もしく
はそれ以上に科学的な科学になるのです。小学生にはややわかりにくいところも
あるかと思いますが、この説明でわからないならまたお尋ねください。
 

井関様へ

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2005年 9月18日(日)23時32分7秒
  私は明日から2週間オーストラリアに行くので、ティラノサウルスについては今は
詳しい返事を書くことができません。後日改めて書くので、お許しください。

ただ一言だけ、井関様は創造科学については
大きな勘違いをされていると思います。

>創造科学が科学で有る以上聖書の教えが科学的に正しい理由を説明すべきではないでしょうか。聖書では最初の人間がアダムであるならそれの科学的根拠を示すべきだと思います。

創造科学というのは、科学の分野を通して創造主をより深く理解し、信じるための手段に過ぎません。目的は天地を創造した神を信じるようになることです。科学を信じることではありません。ですから、創造科学を理解するために必要なことは、第一に科学的な理解ではなく、聖書の理解です。有神論的進化論を認めるのは、失礼ながら井関様の聖書の知識が不足しているからのように思えます。この問題は結局は、科学と聖書(あるいは神)のどちらを優先するかと言うことです。進化論は科学を優先し、その結果神は科学に支配され、科学法則に逆らう行為は許されません。しかし、創造論は聖書を優先するので、神は科学を支配し、科学法則に縛らず、科学に逆らうことさえ可能です。どちらの神理解が正しいのでしょうか。神について学ぶには、科学だけを知っていても駄目で、聖書を正しく学ぶ以外にありません。この際聖書をきちんと学んでみる気はありませんか。一度教会に行って学ばれることをお勧めします。必要でしたら、私の知り合いの奈良教会をご紹介しましょうか。

 創造科学の大前提である創造主なる神の存在を信じることができなければ、創造科学の正しさは永遠にわかりません。もし「科学的証拠を示すことができないから創造論を受け入れられない」というのなら、その人は聖書よりも科学を信じていることになります。信じる根拠が聖書にではなく科学にあるからです。しかし、神が私達人間に求めていることは、自分の知恵(科学)に頼らず、ただ神の言葉(聖書)を信じ、頼れと言うことです。そうでなければ、科学的には不可能に見える奇跡を信じたり、奇跡を願い求めることなどできません。科学的にはあり得ない復活を信じることができるのは、復活が証明されたからではなく、それが神の約束だからです。聖書にはイエスが復活したと書いてあり、創造論者の私を始め、進化論者も含め多くのクリスチャンはこの復活を信じています。では、復活は科学的に正しいと証明されているのでしょうか。創造だけに科学的証拠を求めるのはおかしくありませんか。

 有神論的進化論の正しさを証明したければ、科学では扱うことが不可能な「神」について論じなければならないので、科学ではなくあくまで聖書に基づいて論じるべきです。創造科学は、聖書の示す創造主がいるという前提から、始まります。創造主がいないという前提に立つなら、私も進化論が正しいと思います。問題は創造主がいるかどうかです。しかし、この問題は科学では扱えないのです。

創造論を信じ、創造科学を支持する人の全て、とは言いませんが、ほとんどの人はこの前提から考えを進めています。私もそうです。創造論が科学的に正しいとわかったから、創造を信じたのではありません。創造がどのように行われたのかを考えるのが創造科学であり、創造があったかどうかの根拠は聖書にあります。その意味では、聖書が明確に創造を支持し、イエスの死が人類の罪をあがなうためのものであることを示す以上、科学者が何と言おうと、進化論は誤りなのです。
 

斉藤様へ

 投稿者:井関 竜也  投稿日:2005年 9月18日(日)13時10分31秒
  >「1歩1歩の歩幅を大きくすればスピードが出せる」というのは、私はよくわかりませんが、上の理由から否定的です。

 僕が言いたいのは大きくするというよりは元から大きいという意味です。確かにハンティング(するとしたら)の対象で有るカミナリ竜がティラノサウルスと同等の速さである可能性も有るかもしれません。しかしそれは健康な場合では無いでしょうか。
 おそらくティラノサウルスは長時間かけて弱った個体を狩ったのではないでしょうか。例えばハイエナはスカベンジャーのイメージが有りますが、スタミナを活かして長時間執拗に追い回した獲物を一気に攻めるといった狩をします。同じようにティラノサウルスも弱って群れから孤立した獲物を少しずつ弱らせてから数頭がかりでしとめたと考えられると思います。
 斎藤様も「ティラノサウルスより大きい恐竜ならさらに動けないはず」とおっしゃっている様におそらく大型の恐竜は一部の例外を除いてほとんどが走れなかったと考えられます。これなら走れない者同士対等で、そのうえ弱った相手を狙っていたとすればティラノサウルスの狩りは十分に成り立つと思います(何度も言いますがティラノサウルスが狩を頻繁に行なった可能性は極めて低いですが)。

 ちなみにティラノサウルスが巨大化する事で何か長所があったのかということですが、これはあったと思います。ハンター、スカベンジャーとよく言われますが狩りをするハンターでも死体を食べる事は有りますし逆の事も言えます。また、他の捕食動物の狩った獲物を横取りすることも有ります。
 この時に相手を驚かせて横取りするには体が大きい方が有利であると考えられます。例えばライオンとチーターならチーターの方が狩りが得意で有るにも関わらずチーターはライオンに獲物を横取りされる事があります。これと似たような事が中生代の世界でも起こっていたのではないでしょうか。これならハンターとしてもの競争に敗れたティラノサウルスの祖先がスピードを落として体力を節約しつつスカベンジャーとして進化したとも考えられると思います。

 ところで3月11日の有新進化論を否定する理由は納得できません。創造科学が科学で有る以上聖書の教えが科学的に正しい理由を説明すべきではないでしょうか。聖書では最初の人間がアダムであるならそれの科学的根拠を示すべきだと思います。
 

井関さん

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2005年 9月15日(木)16時01分38秒
  一応、上のルールに従ってメールで私の方にあなたのおうちの電話番号を教えて
おいてください。本人であることの確認を取るためだけの理由ですから心配なさ
らないで下さい。
 

井関様へ

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2005年 9月14日(水)23時35分20秒
  文章からは小学生だとは思いませんでした。小学生が創造論に興味があるとはうれしいです。

>走れないと言う事は遅いという事では無いと思います。


そうでしょうか。筋肉を調べると走ることは無理だというのです。
生物の大型化を妨げる要因の一つに筋肉量があります。筋肉の強さは筋繊維の断面積、つまり縦×横に比例しますが、体重は縦×横×高さに比例します。従って、筋肉の強さは体重増加の3分の2乗でしか増加せず、体重の増加に、筋肉の強さは追いつかなくなります。
つまり、重すぎる体重を足の筋肉が支えることができなくなる、立つことさえできなくなる場合があるのです。(このサイトの7ページ目2/23の記載に関連があります。)

走ると言うことは、1本の足が全体重を支えるわけですが、研究者によると
ティラノサウルスが軽く走る(ギャロップする)ためには全体重の86%の筋肉が
足に備わっていなければいけないことがわかりました。そんなことは不可能なので、
彼らは全く走れないという結論を出したのです。

ご質問のように「1歩1歩の歩幅を大きくすればスピードが出せる」というのは、私はよくわかりませんが、上の理由から否定的です。

 >仮にティラノサウルスがセイスモサウルスなどのカミナリ竜をハンティングするとします。この場合相手も走れないのですからこちらの方がまだ少しは速いだけ有利なのではないでしょうか。

 相手よりも少しだけ速いとは言い切れないのではないでしょうか。こちらは2本足ですが、相手は4本足なので、体重の足にかかる負担は半分です。ということは、体重2倍までは同じスピードになるはずです。そして「現在、成体のゾウを常食とする肉食獣はいない。スピードがなくとも、大型化に伴う力の強さがそのまま武器にもなっているのだ。同じように35mまで成長したセイスモサウルスに敵はいなかったと考えられる。」(恐竜博2002 カタログ)とあります。私は専門家ではないので、これ以上はわかりませんが、これを読む限りでは、セイスモサウルスはティラノサウルスに勝てるようです。

 そもそもティラノサウルスが狩りをするかどうかも疑問です。ハイエナのような死体を食べる恐竜だった可能性もあります。相手が死んでいれば、動きが遅くても食べ物には困りません。つまり、動きが鈍いと言うことは狩りをするタイプよりもむしろ死体を食べるタイプを支持するのではないでしょうか。

 さて、進化論では適者生存が言われます。それが本当なら、進化によって巨大化したティラノサウルスは、巨大化することが生存に有利な条件になったはずです。しかし、それは本当でしょうか。巨大化していない体重1トンかそこらの恐竜も生存しているのです。機動力の低下は、普通に考えればマイナス要因だと思うのですが、ティラノサウルスが進化して強大化したのなら、そうではないようです。体重が1トンを超え、機動力が低下してからの方がかえって成長率が高いというデータが示されています。こうした理由について、まだ説明がなされていません。進化論による説明には、まだはっきりとした証拠があるわけではないのです。思いこみで全てが説明されているに過ぎません。


なお、有神論的進化論を否定する理由は、このページの3/11の記事をお読みになってください。
 

何らかの意志

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2005年 9月14日(水)12時37分30秒
  井関さん

自己紹介を下さり有難う御座います。香芝と言いますと奈良ですか。あそこの奈
良盆地から大和川に沿って大阪に出るあたりは非常に面白い地形が見られますね。
奈良盆地と瀬戸内海地域が地形が全く似たようなものなのに、どうしてその間に
あんな険しい峡谷が出来ているのか、小学校の自由研究課題で調べたら面白いで
すよ。

それはともかく、この世界は神が創られましたので、神の意志が反映されている
のを直感したのは立派です。有神進化論というのは、特にそういう名前のついた
独立した論理ではなく、いろいろな人の思いつきで聖書の創造の記事と進化論と
いう異質なものを継ぎはぎした考え方で、一貫しない矛盾だらけのものです。当
掲示板では有神進化論は扱っておりません。
 

自己紹介

 投稿者:井関 竜也  投稿日:2005年 9月13日(火)22時49分43秒
   掲示板の秩序を乱してしまって申し訳有りません。自己紹介は匿名希望の時にすればよいのかなと思ってしまいました。
 では早速自己紹介させていただきます。
 僕は香芝市立関屋小学校に通う小学6年生です。基本的には進化論を習ってやはり公平に見れない所もありますが勝手に生命が発生して勝手に都合よく進化して行くとは思えないです。なので皆さんとこの場を通じて色々教えてもらいたいです

 ところでもう1つ質問してもよろしいでしょうか。僕は生物が勝手に空の生物が激減したらコウモリが都合よく登場するとは思いません。創造論を知る前は何らかの意思みたいなのが働くのではないかと考えていました。僕なりに色々調べたのですが有神進化論という神が進化を起こしたと言う考えが有るそうです。これについての皆さんの意見を教えてください。
 

創造論=原理主義

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2005年 9月13日(火)12時47分2秒
  長谷川先生のおっしゃるとおりです。
前述の記事にはこうあります。

「欧米、特に米国で創造科学と言えば聖書の記述をそのまま直解して、
神による天地創造を歴史上の事実として証明しようというキリスト教原理主義者
(ファンダメンタリスト)の主張のことだ。」

塩谷氏の理解の中では、創造論=原理主義であるように思えます。
しかし、もしそうなら、各種世論調査が示すように、アメリカ人の45%は人間は
この1万年以内に神による創造によって誕生したと信じているのですから、
アメリカ人の少なくても45%は原理主義者と言うことになります。進化論否定は83%と
塩谷氏が書いていますから、アメリカ人の8割は原理主義支持者と言うことにもなります。
しかし、実際にはそんなことはないと思います。原理主義者は福音派(エバンジェリカル)の一部を占めるに過ぎないのではないでしょうか。原理主義者とは、「何かに怒っている福音派」と定義した人がいましたが、創造論者の全てが、攻撃的で排他的で、政治に深く関わろうとしているのではありません。そうしたことをどこまで塩谷氏は知っているのでしょうか。

 いずれにしろ、日本は、創造論者の圧倒的に多いアメリカの影響を強く受ける国です。
創造論のことを始め、聖書についてもっと理解を深めることが、国際理解に繋がると
私は思います。創造論を非科学的だと無視するようでは、アメリカを理解することは
できません。
 創造論が理を脅かすのが本当なら、アメリカの理は残り17%の人にゆだねられていることになります。進化論者が本気でそう考えているなら、それは傲慢なのではないのでしょうか。進化論支持がほぼ100%なのに、なぜ日本は理科離れが進み、学力が低下しているのでしょうか。創造論を教えると、知力が妨げられるというのは甚だしい誤解もいいところです。私は、進化論一辺倒の教育こそ、理を脅かすものだと断言します。
 

創造論≠原理主義

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2005年 9月13日(火)10時40分45秒
  斉藤先生

私はその記事は読んでいないのでコメントは出来ませんが、神の創造を信じるか
ら即ち原理主義であると決め付けているような記事は、一片の問題を提起します。
それは、聖書の解釈の原理に従う手前神の創造を信じている、というような状況
があるのかどうかということです。勿論、結論から先に言えば、そういうことは
ないのです。それは斉藤先生の仰るとおりです。神がこの世界と生き物を作られ、
世界の初めは神の存在から出発するという認識に従って、聖書にある神の創造の
記録を受け入れているのは原理や教条以前の世界観の問題です。これをあえて原
理に従っていると決めつけるならば、その結果、進化論は「神の創造を主張する
原理」のアンチテーゼであることをはからずも自白するようなものです。つまり
創造論を原理主義であると主張するなら、進化論そのものが原理に反対する原理
というポジネガの関係の一種の反原理主義であると主張していることになります。
そして実に馬鹿馬鹿しい堂々巡りが始まってしまいます。

そうではなく、創造論とは神がこの世界をアダムとエヴァと共に一週間の間に創
られた事を受け入れ、そこから成立する世界観です。これは基本的に聖書を信じ
る科学者の理であって、神と聖書の記述を信じない人の理を確かに脅かしていま
す。だから、創造論は非科学的なんだと言い始めると、まさに反原理主義者の咆
哮となってしまいます。科学的かどうかを判断するのは神の創造を信じるかどう
かのレベルで議論される話ではなく、学問としての論理の組み立て方の問題です。
 

「理を脅かす危うい原理主義」

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2005年 9月13日(火)09時51分39秒
  日経サイエンス9月号に「理を脅かす危うい原理主義」と言う記事が出ています。
日本経済新聞論説委員の塩谷喜雄氏のコメントです。

 科学はニュートンやコペルニクス、ファラデーといった創造論者によって進歩してきたという事実を無視しているのがなにより残念です。原理主義者が主張する創造論を正しいとする考え方は、「理を脅かす」どころか、理を多いに成長させてきたというのが、科学の歴史の正しい見方ではないでしょうか。

 また、キリスト教に対する理解の不足も感じました。
「原理主義や原点の回帰の名の下に、本来は人間の可能性を広げ、人格をより高みへと解き放つべき書や、説や理論にがんじがらめに捕らわれ、閉じこめられ、支配されて相争う構図は不幸と言うほかない。」

日本を代表する知識人なのに、聖書に対する理解がこれでは悲しくなります。聖書は「人格をより高みへと解き放つべき書」なのでしょうか。確かにそう言う面はあります。しかし、もっと重要なことは聖書は「神を示す書」だということです。「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です」(2テモテ 3:16 )。塩谷氏の文面には「神の霊の下に書かれた」ことを意識している言葉はなく、限りなく「人間」中心の世界観です。聖書は、まさにこの考えを否定し、人は神を認め、神によって造られた存在であることを知るように教えます。 聖書にはこうあります。「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と言う年齢にならないうちに」伝道の書(コヘレトの言葉)12:1
 聖書は単なる道徳の本ではありません。人は皆罪人であって、自分の力では人格を高めることはできません。創造主なる神を知ることによって、聖霊の働きによって人格は清められ、高められるのです。

 もう一点、残念なのは、創造論は原理主義者だけが言っているのではないと言うことです。私は創造論支持者ですが、正確な意味での原理主義者ではありません。原理主義者の定義の一つに、聖書は逐語的に書かれたものと信じることがあります。聖書は神の言葉だから、一語一語間違いがないと言うものです。
 しかし、私はこの考えを否定します。聖書は逐語的に書かれたのではなく、神が人に思想を与え、人が自分の言葉で書いたという思想霊感の立場を取ります。このことは、聖書に誤りがある可能性を認めます。誤りというのは、写本を写す間にミスが生じる可能性を認めるというようなことです。単語や数字が異なる場合があるかも知れません。
 しかし、大事なことは、そうしたミスが聖書の中にあったからと言って、それ故に聖書の信用性が失われるものではないと言うことです。1冊の本の中に、誤字が1カ所あったからと言って、そのことでその本の内容を否定できるでしょうか。創造の話は、創世記だけに書かれているのではなく、聖書全体を通して神が創造主であることが示されています。
私に言わせれば、聖書を信じる者であるなら、原理主義者に限らず全てのクリスチャンが
創造論者にならなければおかしいのです。


 聖書に対する知識不足をされけ出し、創造論のことを批判的に書いてはいるものの、日本人にこういう形ででも紹介されたことはとりあえず良かったと私は思います。何しろ日本では創造論を信じている人が世界中にいることさえ知らない人が多いのですから。

 塩谷様 ありがとうございます。
 

井関様

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2005年 9月13日(火)09時06分39秒
  質問して頂いてありがとうございます。お答えは自己紹介の後でと言うことで
よろしいでしょうか。
 

恐れ入りますが

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2005年 9月13日(火)08時13分33秒
  井関様

眞に恐れ入りますが、上記のルールに従いまして、自己紹介をお願い申し上げます。
 

ティラノサウルスの狩り

 投稿者:井関 竜也  投稿日:2005年 9月12日(月)21時14分49秒
   始めまして。いきなりこんな事を言うのは失礼かもしれませんが斉藤愛輝さんの書き込みに疑問を感じたので質問させていただきます。
 走れないと言う事は遅いという事では無いと思います。走れないというのは1つ1つの動きが遅いだけで1歩1歩のリーチが大きいはずです。これなら狩りに必要なスピードが出た可能性もあります。
 しかもティラノサウルスが走れなくて遅かったとしても狩りができないと言う結果には直結しないのではないでしょうか。もし仮にティラノサウルスがセイスモサウルスなどのカミナリ竜をハンティングするとします。この場合相手も走れないのですからこちらの方がまだ少しは速いだけ有利なのではないでしょうか。もし弱って孤立した相手であれば長時間かけて襲う事も出来ると思います。
 ではティラノサウルスが狩りが不可能であったとしても生きていく事が可能だと思います。肉食恐竜のほとんどはティラノサウルスより小さいのですから他の恐竜が狩りをした後に獲物を横取りするスカベンジャーとして生きていく事も可能でしょう。これならエネルギーもあまり使う必要がありません。
  斉藤愛輝さんから見て愚問かもしれませんがお返事待っています。
 

神は無駄を行わない

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2005年 9月 2日(金)17時06分25秒
  今朝の新聞に「マウスゲノムの70%に重要な機能 理研など解析」という
記事が載りました。(以下朝日新聞記事要約)

「マウスの遺伝情報全体(マウスゲノム)の大半が無駄と思われていたが、全体の長さの約70%が、遺伝子を調節するなど、細胞内で利用されていることを理化学研究所などの国際研究グループが解明した。
 マウスゲノムは約30億個の塩基がつながるDNAで構成される。従来、約30億個の約2%が最終的にたんぱく質になる設計図で、残る約98%は意義が謎で、「無駄」との見方もあった。 理研ゲノム科学総合研究センターは、マウスの細胞で作られているRNAを詳しく調べた。たんぱく質を作る遺伝子の領域が2万929個あり、たんぱく質を作らないがRNAを作る遺伝領域2万3218個が新たに見つかった。これらを合わせて、何らかに使われている領域はマウスゲノム全体の長さの約70%に達した。

 たんぱく質を作らない遺伝領域のRNAを調べると、他の遺伝子の働きを調節するものがあることも分かった。たんぱく質を作らないRNAが、生命活動の重要な役目を担っていることになる。」

 創造主が98%も無駄なことをするわけがないと思っていたら、やっぱりでした。
役に立っていない無駄な器官(痕跡器官)の存在が進化論の証拠の一つとされてきま
したが、今日無駄な器官がないことが次々と分かってきています。進化論の根拠は
崩れてきています。罪の結果の器官の退化はあるかも知れませんが、創造主が初めから
無駄な器官を造るはずがありません。
 無駄がないと言うことはそれだけ、そこに知性の関与を示唆します。自然選択と
突然変異だけで無駄がない遺伝の仕組みを作れるものでしょうか。
常識的に考えれば、進化論のおかしな点はすぐに分かります。偏見なく見れば、
創造論のまともさが分かります。

コストを削減し無駄を無くすために、人間は必死に考えてやっと実現する出来事が
長い年月かければ偶然にできあがると考えるのは合理的とは言えず、馬鹿げている
としか私には思えません。
 

新刊案内

 投稿者:長谷川寿紀(管)  投稿日:2005年 8月 8日(月)00時46分45秒
  私の本職とは別に、また新しい出版をしました。
下のリンクをクリックするとアマゾンの新書
案内につながります。一応ご覧下さい。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4797466359/qid=1123428683/sr=1-3/ref=sr_1_10_3/249-0865291-9822745

 

恐竜博2005

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2005年 8月 7日(日)23時13分35秒
  名古屋でやっている恐竜博2005に行ってきました。
ティラノサウルス「スー」の全身骨格が目玉です。
「恐竜から鳥への進化」がテーマでわかりやすく説明がされていました。
おかげで、進化論のおかしな点がいくつもわかりました。

1,ティラノサウルスは走れない!
説明にはこう書いてあった。
「現世生物から得られた値をスーの大きさの生物に当てはめれば、
全く走れないか非常に限られた走行能力が示される。」
 ティラノサウルスが全く走れないというのなら、どうやって食べていたのだろうか。
他の恐竜を襲って食べる事ができるのだろうか。しかもあの小さな前足で襲えるのだろうか。ティラノサウルスより大きい恐竜ならさらに動けないはず。どうやって生活していたのだろうか。

2 ウロコから羽毛へ
 羽毛の起源は飛行とは無関係で、保温のためであったと説明されていた。
 温暖な気候であったはずなのに、なぜ保温が必要なのだろうか。さらに不思議
なのは、同様に保温が必要なはずのは虫類のワニは今も同じ姿のままで生き残り、
進化し羽毛を手に入れた恐竜が絶滅したことである。羽毛などなくても、生存可能
であるのなら、なぜウロコから羽毛へ進化しなければならなかったのか。
恐竜から鳥に進化したと言いたいために、無理な説明をしているように思えてならない。
 

雄コオロギに体内ポケット 岡山大大学院・酒井教授発見

 投稿者:福田  投稿日:2005年 6月16日(木)09時05分13秒
  大変ご無沙汰致しております。岡山の福田です。地元紙に興味深い記事が載ったので投稿させていただきます。
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 コオロギの体内にごみ箱?雄コオロギが生殖器のゴミを特殊な一対のポケットにため込むことを、岡山大大学院自然科学研究科の酒井正樹教授(61)=神経行動学=が見つけた。これまで知られていないユニークな報告。生殖を確実にするためとみられ、酒井教授は「あまりによくできており神秘的」と話している。

 雄コオロギは精子が詰まったカプセルのような精包(4ミリ)を交尾で雌に移す。酒井教授は交尾行動を調べるうち、精包をつくる器官の下に、精包の残りかすやふん、身体の毛などのごみが入ったポケットを発見した。
 特殊な顕微鏡で交尾直後に観察したところ、器官が精包を出して空になると、その下の膜の表面が膨らんで器官に入り込み、内部のごみをこすり取り、ごみはポケットに運ばれることを確認した。
 酒井教授は「精包や精子が通る管(直径7ミクロン)は精巧で、器官に少しでもごみがあると形成されないため、掃除が不可欠だろう」とみている。
 ポケットは卵形で、空の状態は長さ0.3ミリほど。ごみがたまるにつれ30日後に約1ミリに膨らむ。そのころ雄コオロギは死ぬという。
 コオロギに詳しい埼玉医科大学医学部の菅原隆助教授(神経行動学)は「ゴキブリやトンボなども含め精包を雌に受け渡す昆虫は、何らかの方法で生殖器を掃除しているとみられていたが確認されたのは初めて。いかにいい精子を雌に渡すかという“生殖戦略”の一端を明らかにした」と評価している。(山陽新聞 2005/6/14 Tue.)
====

進化論者であれば、どのように進化して、こういうメカニズムを得たのか興味がわき、研究意欲が出てくるところかもしれませんね。
しかし、私たちは、このようにすばらしいメカニズムをつくった神様を賛美したいと思います。
メカニズム自体は詳しく研究が進むことはよいことだと思います。
 

進化論仲間割れ

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2005年 6月 9日(木)19時39分54秒
  こんなニュースが朝日に載っています。

米で新たな進化論争 「神」ではなく「知的計画」?
2005年06月07日17時08分

 「生命の誕生や進化の背景には知的な計画があった」という「Intelligent Design(知的計画=ID)」説を学校で教えようという主張が、米国で頭をもたげている。米国では、旧約聖書の創世記に基づき、天地と人類は神がつくったとするキリスト教右派が勢力を保つ。そうした宗教右派の「進化論を学校で教えるな」という主張とは表向き一線を画しているのがID推進派の特徴だ。

 米東部ペンシルベニア州ドーバーで5月17日、日本の教育委員会にあたる学校区の公選委員の予備選挙があり、争点はIDの扱いをどうするかになった。なぜ生命は誕生したのか、生物がいかにしていまの形を得たかは、進化論だけでは説明しきれず、そこに知的な計画が働いているというのがIDの主張だ。「神がつくった」とは言わない。

 米国では州や学校区に教育内容を決める権限がゆだねられ、委員の構成で教育内容が左右される。ドーバーの学校区は昨年、高校の科学でIDに触れられるようになった。今のところ全米唯一とされる。予備選では7人の委員の枠に18人が名乗りを上げた。ID推進派7人と、反対派7人が残り、11月の本選挙に決着は持ち越された。


 カンザス州教育委員会でも5月、科学教育のカリキュラム見直し提案が議論された。IDを科学の授業で教えるべきだと主張する同州に全米本部を置く非営利組織「IDネットワーク」が提案した。同州では99年に進化論がカリキュラムから外れ、委員の構成が変わった01年に復活するなど、進化論教育は政治的綱引きの標的となってきた。

 IDネットのジョン・カルバート共同代表は「進化は事実だとしても、推し進める何らかの仕組みがあるはず。それがIDだ。特に地球誕生や生命誕生は、進化論では説明できず、現在の自然界を見ても、知的な計画の存在を多くの科学者が認めている」と言う。進化論を教えるな、とは主張しない。


 これに対し、進化論教育の維持を訴える非営利組織「全米科学教育センター」のユージニー・スコット代表は「憲法の政教分離原則によって公立学校で天地創造説を教えられないため、宗教色を薄めたIDを持ち出しただけ。科学で説明できない『穴』があると、それを『神』で説明しようとする、天地創造説を唱える人たちの手段だ」と話す。

 CBSテレビが昨年11月に行った世論調査によると、米国人の55%は、神が人間をつくったと信じ、27%は進化の過程に神が関与したとし、全く神がかかわっていないとする人は13%にとどまった。
 

”進化論”への挑戦?

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2005年 6月 7日(火)09時28分27秒
  昨日筑紫哲也のNEWS23を見ました。

”進化論”への挑戦?という特集が組まれていました。
カンサス州の教育委員会で、創造論を教えてもいいかどうかの公聴会が開かれた
というニュースです。科学か宗教かという、紋切り型の切り方で
朝日新聞社らしいなと思いました。
公聴会は、進化論側が議論に値しないと証人が欠席して幕を閉じたと言うことで、
教育委員会の結論は7月に出るそうです。

筑紫哲也は、進化論と創造論を両論併記することは、天動説と地動説を両方教える
ようなもので、まずいことになるのではないかと言っていましたが、
果たしてそうなのでしょうか。科学の歴史を知る上から言っても、天動説を知る意味
はあると思います。それに第一、地動説を特に教えられないかぎり、天動説を考える
方が一般人にとっては普通ではないでしょうか。「太陽は東から上る」と見えるわけ
ですから。でも、それは違うと言うことを説明すればいいわけで、両論併記が
問題あるとは思えません。両論を教えることは、私の経験からすると、創造論側に
圧倒的に有利です。両方を正しく教えられた生徒はほとんどが創造論を支持します。
事実に基づくのは創造論側なのですから当然のことです。それで、進化論支持者が減る
のを恐れて、進化論側は両論併記するなと言っているのではないかと、私は勘ぐってしまいます。

この番組では「事実に基づいて教えてほしい」という生徒の声が紹介されていましたが、
そうであるならなおのこと、創造論を教える必要があります。なぜなら、進化を事実とすることは、創造主がいないという事が事実だと科学は認めていると教えることになるからです。科学は神の存在を否定も肯定もできないのに、神の存在否定を事実とすれば、事実を正しく教えていないことになります。
「創造か進化か」は「科学か宗教か」の問題と言うよりも「神の存在は事実か否か」の
問題です。いるとしたら創造論が正しく、いないのなら進化論が正しいのです。
神がいないことは事実と決まったわけではないのに、あたかもそれが事実であるかのように教えるところに、進化論の事実を曲げる部分が見えます。
科学か宗教か、と言っているうちはまだまだ創造論の本質を理解しているとは言えません。「(彼らは)神が人を造ったと信じたいのだ」と筑紫哲也は言っていましたが、そう言う彼は「神が人を造ったとは信じたくないのだ」と単に自分の信条を言っているに過ぎないことに、気がついていません。日本を代表する知識人なのですから、もっと
創造論について学んでほしいと思います。


「聖書の矛盾」を書かれた高田様はやっぱり再度出てきませんね。聖書を正しく学んでくださっていればいいのですが。
 

そもそも

 投稿者:長谷川寿紀(管理者)  投稿日:2005年 6月 2日(木)20時18分17秒
  聖書のどこに天動説が書いてあるのでしょうか。どのページをめくっても書いていま
せん。天動説が聖書に基づくという主張は、聖書をろくに読んでいない人々の誤解で
あり、其の発生は誤読者の責任です。聖書の側の責任ではありません。
 

科学者は間違えない?

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2005年 5月31日(火)23時41分22秒
  高速増殖炉もんじゅ訴訟で住民が逆転敗訴したニュースの中で、
朝日新聞にこんな文章が出ていました。

「今回の判決は、現在の原始炉の安全性チェックの仕組みが実態として
『科学者は間違えない』という前提に基づいていることを示した。」

「科学者は間違えない」!? 神でもない人間が間違えないわけがないのに、
と私は思います。「神は間違えない」なら、私は信じます。
進化論者の言い分も「科学者は間違えないが、神は間違える」を前提にしているよう
に見えます。創造論者の私は「神は間違えないが、科学者は間違える」を前提にして
いますので、科学者が進化論は正しいといくら主張されても、否定するだけです。
間違いのない神が世界を創造したと述べているからであり、歴史は科学者は間違えることを証明しているからです。科学も神が支配していることをお忘れなく。

なお、下の発言のURLは関係ないです。私が間違ったみたい・・・・
 

矛盾するのは進化論側です

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2005年 5月31日(火)23時19分40秒
  長谷川先生には申し訳ないのですが、
自己紹介をせずに去る人も多いので、念のために一言だけ簡単に返答します。

聖書に天動説が書いてあるのでしょうか。
地動説を唱えた人はコペルニクスですが、彼は聖書をそのまま信じていた
創造論者です。万有引力の発見者ニュートンもそうです。聖書に天動説が書いて
あるのなら、彼らは信仰を捨て、聖書を否定しなければならなかったはずですが、
事実は逆です。彼らは聖書は正しいと信じて、地動説を唱えたのです。


聖書に矛盾があるように見える場合のほとんどは、聖書の知識が足りないだけ
のことです。ですから、疑問に思われるなら、進化論者の意見を鵜呑みにしないで、
まずはきちんと聖書を1から学ばれることをおすすめします。それでも、疑問があれば、
ルールに従って質問なさってください。

http://http://www.asahi.com/dino2005/news/TKY200503240358.html

 

自己紹介をお願いします

 投稿者:長谷川寿紀(管理者)  投稿日:2005年 5月31日(火)09時12分15秒
  敬意を払う議論はそれから後の話とお心得下さい。  

聖書の矛盾

 投稿者:高田  投稿日:2005年 5月31日(火)00時30分30秒
  創造論者の方々は聖書が正しいと主張なさいますが、それならばなぜ聖書には天動説が書いてあるのでしょうか?地動説でさえ誤りだと言えるでしょうか?また、地球は平らだと主張できるでしょうか?これらの点から言っても聖書には誤りが多数含まれています。
進化論が絶対で万人が信じろ、などとは決して思いませんが、進化論にも敬意をはらう必要があるのではないでしょうか?(もちろん敬意をはらってらっしゃる方々も多数いますが。)
「進化論支持科学者は、進化論が矛盾すると示す証拠を無視している。」と言う様なことを書いてありましたが、創造論に矛盾することも多数あることをご記憶してください
 

人工世界論

 投稿者:富樫  投稿日:2005年 4月26日(火)04時01分29秒
  http://homepage2.nifty.com/sinseigingateikoku/において、人工世界論を公開しています。ぜひ見てください。  

ううむ

 投稿者:長谷川寿紀(管理者)  投稿日:2005年 4月 3日(日)12時29分38秒
  斎藤先生

その文から察する所、科学者が見つけた血管と言うのは、骨の中を走っている栄養
血管だったということですね。骨組織の内部に埋没した血管ということで、とりあ
えず外気に触れることなく酸化も腐敗もせず残ったというものでしょう。エジプト
のミイラもそういう血管ならまだ残っていますから、それと比べても恐竜の骨は古
さから行っても年代的に大差がないと言う事になると思います。

ちなみにモンタナ大学理学部はモンタナのボウズマンにあります。文学部はミズー
ラにあります。後にでも恐竜の骨がモンタナのどこで掘り出されたのかがわかった
ら教えてください。
 

長谷川先生へ

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2005年 4月 2日(土)21時26分11秒
  新聞記事には詳しく出ていません。
「(3月)25日付の米科学誌サイエンスで発表される。恐竜は最大の肉食恐竜ティラノサウルス・レックス。モンタナ州立大ロッキー山脈博物館が00〜03年に発掘した。推定全長約10メートル。ノースカロライナ州立大のシュワイツァー博士らが大腿(だいたい)骨を切り取り、弱酸性の溶液でカルシウムなどミネラル分を除いたところ、血管や骨細胞が出てきた。  血管は網目状に広がり、水分を含ませた状態で引っ張ると伸びるほど軟らかかった。血管内には、細胞核が残った内皮細胞らしい細胞も多数あった。骨にも核の残る骨細胞があった。 」

http://http://www.asahi.com/dino2005/news/TKY200503240358.html

 

斎藤先生

 投稿者:長谷川寿紀(管理者)  投稿日:2005年 4月 2日(土)05時41分22秒
  血管組織が出土したそうですが、それはモンタナの何処だかわかりますか。
モンタナにいたことがありますからあそこは私の裏庭みたいなものです。
どういう場所であるか言われれば見当がつきますので。
 

1億5千万年前のほ乳類

 投稿者:斉藤愛輝  投稿日:2005年 4月 1日(金)08時42分56秒
  毎日新聞記事から
ほ乳類の化石:1億5000万年前の地層から発見

 「アルマジロのように前脚で穴を掘り、シロアリを主食にしていたとみられる原始的な哺(ほ)乳類の化石が、中生代ジュラ紀後期(約1億5000万年前)の地層から見つかった。・・・アルマジロなどは、約5000万年前に登場した。今回の発見はその1億年前にも前例があったことを示す。これまで見つかったジュラ紀後期の哺乳類化石は、雑食かミミズなどを食べる食虫動物で、今回の化石は別系統とみられる。
 国立科学博物館の冨田幸光・古生物第三研究室長(古脊椎(せきつい)動物学)は「哺乳類が誕生して間もない時代だが、これほど多様な哺乳類がいたとは驚きだ」と話している。」


 国立科学博物館のコメントが笑えます。多様なほ乳類は創造の初めからいるのですから、創造論にとっては当たり前のことです。「ほ乳類が登場して間もない時期」という
考えそのものが既におかしいのですが、進化論を信じている人には訂正できないんですね。進化論はまさに宗教そのものです。相次ぐ化石の発見は進化論のもろさを次ぎ
次ぎと明らかにしています。進化論には無理があることに早く気づいてほしいものです。
 

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